第1回勉強会 『科学は普遍的か?』(2013.5.30)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(4)「〈日本意識〉の三角測量−未来へ」
2013年度 第1回勉強会
科学は普遍的か?


  • 日  時  2013年5月30日(木)18:30〜20:30
  • 会  場  法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階国際日本学研究所セミナー室
  • 講  師  ジャン=マルク・レヴィ=ルブロン氏(フランス・ニース大学名誉教授)
  • 通  訳  鈴村 裕輔 (法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)
  • 司  会  安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授)

 

 

今回は、ニース大学ソフィア・アンティポリス名誉教授のジャン=マルク・レヴィ=ルブロン氏を招き、「科学は普遍的か?」と題して行われた。報告と質疑応答は英語で行われ、司会はHIJAS所長で法政大学文学部の安孫子信教授、通訳はHIJASの鈴村裕輔が務めた。

レヴィ=ルブロン氏はフランスを代表する理論物理学者であるとともに、科学批判の立場から科学と社会や文化の関係についても多くの著作を発表しており、近著にLe Grand Écart: La Science entre Technique et Culture (Éditions Manucius, 2013)がある。
報告の概要は以下の通りである。

今日、政治組織や家族関係、創世神話、社会における歴史的な習慣、宗教と信仰、芸術と文学といった文化の構成要素が多様であるということを疑う人はまれである。しかし、近代科学について考えるとき、「科学的な理論は普遍的である」ということ、そして、「普遍的な理論を生み出した近代科学が西洋の文明や文化、とりわけギリシア文明、キリスト教、ユダヤ教に由来することから、科学は西洋にのみに存在する」という考えがしばしば前提されている。だが、科学は本当に普遍的なのであろうか。まず、江戸時代に発達した日本独自の数学である和算を例に考えてみよう。

和算は主として幾何学に関わっており、最も著名な和算家である関孝和は、ある面ではニュートンやライプニッツといった同時代のヨーロッパの数学者に先んじる成果を挙げていた。また、和算家や和算の愛好家たちの間では、額や絵馬に数学の問題や解法を記した算額を神社仏閣に奉納するという、独特の伝統があった。算額の奉納は数学と宗教との関わりを予想させるものの、ユダヤ教の数霊術のような宗教と数学の結びつきは見られなかった。あるいは、和算は、ユークリッド以来の西洋の数学が行ってきた原理の一般化や論理的な構造の確立という側面を欠いていた。さらに、17世紀以降、ヨーロッパの数学家は各種の国家機関を通して育成された専門家であったのに対し、和算家の多くは愛好家であった。その結果、日本では、ニュートンやその後継者が行ったような、数学上の成果が物理学、工学、医学などに応用されるということはなかった。

次に原始科学の状況を考えてみよう。交易と工業に基づく社会が登場するまで、人類は原始科学的な技術を必要とした。集団の生活や秩序を維持するために自然現象を観察し、結果を理解することで、人類は植物学、動物学、天文学、数学、物理学の原型となる知識を得た。しかし、このような普遍的な基礎があったにもかかわらず、原始科学の内容が多様であったことは、記数法を参照するだけで十分である。すなわち、原始科学においては、八進法、十二進法、六十進法などが用いられており、今日の標準的な記数法である十進法とは異なる体系が力を持っていたのである。また、数の勘定や分類辞も言語ごとに様々な種類があり、数学的要素が人間的、社会的な価値と対応していることが分かる。

言語については、西洋の言語と西洋以外の言語との間に存在する文化的な相違が、近代科学の用語にも影響していることに注意を払う必要がある。すなわち、ヨーロッパの言語の大半では、科学に関する術語は特定の地域の言語に由来するか、ギリシア語やラテン語をもとに新しく作られるかのいずれかであるのに対し、非ヨーロッパ言語の場合、術語の多くはヨーロッパの言語の翻訳であり、翻訳される前の術語とは異なる印象を利用者に与えることになるのである。

それでは、科学とは一体何であるのか。実際には、科学という言葉の含意は幅広い。原始科学は本質的には技術的、経済的、神話的、あるいは余暇的な活動と結び付いてた。しかし、科学という術語は、実質的な起源と一般的な使用方法から、少なくとも知識の抽象的で客観的なあり方に制限される。そして、古代ギリシアの数学は、実践的であるよりもむしろ哲学的であるという意味で科学の特徴を備えている。一方、古代エジプト人は様々な形の区画の面積を調べ、計算する方法を持っていたものの、計算方法の正しさを証明することはなく、あくまで実用的な動機に基づいて計算を行っていた。ただし、古代ギリシアの科学的な成果が近代科学に直結したわけではなく、8世紀以降、古代ギリシアやインドの科学を学んだアラビア人が工学、天文学、幾何学、医学の担い手となり、彼らが挙げた成果は、ヨーロッパの学者よりも数世紀ほど先んじていた。

近代科学と呼ばれるものは、17世紀初頭にヨーロッパに登場し、17世紀のヨーロッパという状況と密接に結び付いている。すなわち、政治的、社会的な圧迫からの解放と都市の職人たちの力の増大が、職人たちに手仕事と実用的な活動の機会を与えたのである。そして、技術の発展によって、機械の背後にある原理への関心が高まり、観察から実験が重視されるようになった。また、「偉大な神としての自然」や「自然の法則」という観念は、17世紀のヨーロッパ社会の政治的、宗教的な枠組みの中で生まれたものであった。

しかし、科学の発展を、安定的で継続的な進歩の連続として扱うことは誤りである。何故なら、中国やアラブ・イスラム文明の科学は、近代科学という大河に流れ込む支流とみなすには、あまりにも近代科学とは異なる特徴を持っているからである。「科学」は単一のものではなく、「さまざまな科学」が存在するのであり、科学的な成果は時間的な制約を受けるということからも、科学的な成果の複数性を理解することができるだろう。また、科学が文明の発達に不可避であるとする考えも誤りであるのは、ギリシア人が残した科学上の成果を修得、発展させることなしに西ヨーロッパと地中海世界を数世紀にわたって支配したローマ帝国の事例からも明らかであろう。

さらに、科学は場所的な制約をも受けることは、地球外の惑星の深海部に知的生命体が生存すると考えるとき、人類が天文学から出発して科学を発展させたのとは異なる方法で科学を進化させるという思考実験の結果によっても示唆されるものである。

確かに、科学が普遍化されているという事実は認めなければならない。しかし、科学は永遠不滅のものではなく、思索と行動の結合という近代科学の特徴も、歴史的には極めて例外的な現象であった。そして、今や生産性の向上と短期的な利益の確保のための手段となった科学は、衰退の道を歩んでいるかのようである。

しかし、どれほど科学を取り巻く状況が困難であろうとも、科学の役割やあり方を問うということは、明日の文明、あるいは諸文明のためにも意義があることなのである。

「科学は普遍である」という、われわれが無意識のうちに取りがちな態度の妥当性を問い、近代科学のあり方を比較文明学的、比較文化学的な立場から捉えるレヴィ=ルブロン氏の観点は、「日本意識の三角測量」を試みる本研究アプローチだけでなく、日本そのものを相対的な視点から理解しようとする国際日本学にとっても意義深いものであると考えられた。

【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】

左から:鈴村裕輔氏(通訳)、ジャン=マルク・レヴィ=ルブロン氏(講師)

司会:安孫子 信氏(法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授)

会場の様子