研究アプローチ④国際シンポジウム/アルザスシンポジウム(2010.10.31-11.2)

国際日本学シンポジウム「日本のアイデンティティ −形成と反響−」


日 時:2010年10月31日(日)-11月2日(火)

会 場:アルザス欧州日本学研究所(フランス・キーンツハイム)

主 催:法政大学国際日本学研究所(HIJAS)

主 催:フランス国立科学研究学院UMR8155: 東アジア文明研究所(CRCAO)

主 催:ストラスブール大学日本学部、アルザス欧州日本学研究所(CEEJA)

 

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討議の様子(左から星野勉教授〔法政大学〕、 安孫子信所長、教授〔法政大学〕、
島田信吾教授〔デュッセルドルフ大学)

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発表の様子(タイモン・スクリーチ教授〔ロンドン大学〕)

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全体討議の様子

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シンポジウムの主な参加者による集合写真

 

法政大学国際日本学研究所(HIJAS)が「国際日本学」を掲げ、フランス諸学術組織と共催で行って来た国際シンポジウムは、2005年のパリ・シンポジウムから始めて、今回で6回を数える。このシンポジウムは、2007年からはアルザス欧州日本学研究所(CEEJA)に‘居’を得て、欧州・日本双方から同数の研究者が集い、3日間、寝食を共にする形で実施してきた。本年もそれにならって、欧州・日本双方からの計16名が同所で日本を内外から照射する共同作業を行った。
本年のシンポジウムは、この春に文部科学省支援事業に採択されたHIJASの<日本意識>をめぐる研究の中に位置づけられて、テーマとしては「日本のアイデンティティ—形成と反響」が掲げられた。<日本意識>の核にあるべき「日本のアイデンティティ」が歴史の転換期に、どのように探られていったのかが、様々な角度から検討されたのである。
この‘様々な角度’ということで言えば、今回重要だったのは、「三角測量」が方法として明言されたということである。‘内外の視点から’の‘外’が、これまではほぼ西欧だったのを、そこにアジア(東アジア)の視点も加えることが行われたのである。王秀文(大連民族学院),Pai Hyung Il (カルフォルニア大学サンタ・バーバラ校)の参加はその意味も持つものであった。その他ヨーロッパ側からの参加者も多彩で、Hans Dieter Olschleger(ボン大学),Rosa Caroli(ヴェネチア大学)、Annick Horiuchi(パリ・ディドロ大学),Timon Screech(ロンドン大学SOAS)、Josef Kyburz(CNRS)、Christiane Seguy(ストラスブール大学)、島田信吾(デュッセルドルフ大学)が参加発表を行った。また日本側からはHIJASの、ヨーゼフ・クライナー、鈴村裕輔、小口雅史、小林ふみ子、川田順造、安孫子信、星野勉が参加した(発表順,敬称略)。

さて<日本はどこから来て、今どこにいて、どこへ向かうのか>を、グローバリゼーションが進行する今日、改めて問うという、この<日本意識>研究が、先立って問うべきなのが、<日本とは何か>というアイデンティティの問題である。今回のシンポジウムではこのアイデンティティ問題を、歴史上の先例を通して検討することが試みられた。アイデンティティが鋭く問題とされた歴史の先例として過半の発表が取り上げたのが、明治期であった(16発表のうち11)。ただそうだとして、今回の発表の最も大きな区分けは、扱う時代が明治期であるか否かではなくて、それが、1.アイデンティティの内容そのものを扱っていたか(9発表)、それとも、2.アイデンティティの形成のされ方を扱っていたか(7発表)、によるものとなるであろう。もとより、形成のされかたを問い、そこに日本の特徴を言うとすれば、その形成のされ方そのものが、アイデンティティの内容ともなる。逆に、アイデンティティの内容を、形成の局面から解き明かすこともしばしば成されていた。こうして、1.と2.の区別はいくぶんかは便宜的でもある。

以上の留保の上で、1.に属し、日本や日本文化全体のアイデンティティの問題を扱ったものを取り上げれば、古代に遡る「和の国」としてのアイデンティティを論じたもの(小林)、18世紀にすでに感じ始められていた外圧の影響下、きわめて美化された日本像を説いた西川如見の仕事を論じたもの(Horiuchi)、さらに大正期の石橋湛山の小日本主義を論じたもの(鈴村)、丸山真男の古層論を軸に周縁としての日本のアイデンティティを論じたもの(星野)があった。
1.に属し、そのアイデンティティの(場合によっては否定的な)現れを一定のトピックに即して扱ったものとしては、「日本」という国号そのもののあいまいさを論じたもの(小口)、中国起源の端午の節句の日本での独特の展開を論じたもの(王)、江戸時代に西洋解剖学が導入されたとき、それが含む「汝自身を知れ」のメッセージがどう解釈されていったかを論じたもの(Screech)、明治期に創設される国家神道の徹底した西洋依存を論じたもの(Kyburz)、やはり明治期に導入された哲学が、その最初の導入者西周において、philosophyとどこがどう違っていたかを論じたもの(安孫子)があった。
他方で2.に属するものがアイデンティティ問題で何より見ていたのは、アイデンティティが問題となるとき、すでにその問題の場は政治的な場であるということであった。アイデンティティは大なり小なり政治的な形成物であることを免れず、2.の発表では、とくに明治期の国家・国民アイデンティティの政治的な形成のそのような場が様々に明らかにされていったのである。まず、その有力な場の一つを民族学・民俗学に見て、その学問が植民地経営ならびに国家・国民アイデンティティ形成と文字通り不可分の三角関係を産むことを論じたもの(Olschleger)、日本の民族学・民俗学が日本のアイデンティティ形成とどう歴史的に関わっていったかを概観したもの(クライナー)、伊波普猷における沖縄学創設と沖縄アイデンティティ形成の相互関係の確認を通して、柳田国男の日本アイデンティティの模索の意味を論じたもの(Caroli)があった。
さらに、朝鮮が植民地化された後に、観光産業が、とくに宣伝を通じて、日本と朝鮮とをつなぐアイデンティティ形成にどう力を発揮していたかを論じたもの(Pai)、明治期に新しい政治・社会の正当化に寄与する「復古」の物語(楠木正成神話など)がどう形成されていったかを論じたもの(川田)、明治期に新しい政治・社会の形成にメディアが決定的にどう関わっていったかを論じたもの(Seguy)、さらにそれに教育の制度・内容がどう関わっていったかを論じたもの(島田)があった。

以上の多彩な発表は近刊のシンポジウム報告集にすべて収録される予定である。そのとき、その報告集をきっかけに、アルザスで行われたのに優る議論が、広く引き起こされていくことを期待したい。今回のシンポジウムは、いずれにしても、<日本意識>の再検討というHIJASの現在の研究課題の今後の展開に、十二分の示唆を提供するものであったと言える。

【記事執筆:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長、文学部教授)】