国際シンポジウム「小シーボルトの業績-日本の民族学的研究と日本研究におけるコレクションの役割」(2008.3.1-2)

「小シーボルトの業績 −日本の民族学的研究と日本研究におけるコレクションの役割」

  

  • 日 時  2008年3月1日(土) 10時00分〜17時30分、3月2日(日) 10時00分〜16時30分
  • 場 所 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナード・タワー26階 スカイホール

 


文部科学省平成19年度私立大学学術研究高度化推進事業「学術フロンティア推進事業」
法政大学国際日本学研究センター・国際日本学研究所
ハインリッヒ・フォン・シーボルト没後100年国際シンポジウム

「小シーボルトの業績−日本の民族学的研究と日本研究におけるコレクションの役割」(主催:法政大学国際日本学研究センター・国際日本学研究所、後援:オーストリア大使館、ドイツ連邦共和国大使館)が、2008年3月1日(土)、3月2日(日)法政大学市ケ谷キャンパスのボアソナード・タワー26階スカイホールで開催された。

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シンポジウムを企画したヨーゼフ・クライナー教授

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シンポジウムは2日間にわたり国内外の研究者14名による講演がおこなわれました

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駐日ドイツ連邦共和国大使のハンス=ヨアヒム・デア氏が列席されました

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2日目は駐日オーストリア大使のユッタ・シュテファン=バストル氏が列席されました

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会場内にはベルリン国立民族博物館所蔵のものを参考に復元した琉球王朝の衣装が展示されました

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小シーボルトにまつわる文書・資料がロビーに展示されました

 

本国際シンポジウムは、オーストリア大使館、ドイツ連邦共和国大使館の後援を得て、ハインリッヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold, 1852-1908、通称:小シーボルト)の没後100年を記念して開催された。その企画には「私立大学学術研究高度化推進事業(学術フロンティア部門)」の事業推進担当者の一人であるヨーゼフ・クライナー本学特任教授が当たられた。

江戸後期にオランダ商館付医師として来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796-1886)は、長崎郊外に開設した鳴滝塾で多くの優れた蘭学者を育成したばかりか、帰国後、大著『日本』、『日本動物誌』、『日本植物誌』を著し、日本をヨーロッパに紹介したドイツ人として著名である。この大シーボルトの次男、ハインリッヒ・フォン・シーボルトは、1869年に16歳で来日し、その後約30年間、東京のオーストリア=ハンガリー帝国公使館に通訳官や書記官として勤務しながら、父シーボルトの日本研究を継承、発展するべく、一方で、大森貝塚の発掘や北海道沙流地方のアイヌ調査等を基礎とする考古学的・民族学的研究を、他方で、近世日本の文化・生活様式を理解するための蒐集活動を展開した。

本シンポジウムの目的は二つある。一つは、小シーボルトによる考古学的・民族学的研究業績を再点検することであり、さらに、民族学的な日本研究のドイツ語圏を中心とするヨーロッパでのその後の展開を追うことである。もう一つは、現在ウィーン国立民族学博物館・工芸美術館に所蔵されている、小シーボルトの膨大な日本関係コレクションの意義を考察すると同時に、このようなコレクションの日本研究にとっての意味を問うことである。このことは、また、文献研究を中心とする日本学、社会科学的な地域研究としての日本研究に代わる、新しいタイプの日本研究のあり方を提起することでもある。

初日、第一部「小シーボルトの生涯と業績」では、父のシーボルトに比べて知名度の低い小シーボルトの「生涯と業績」(ヨーゼフ・クライナー本学特任教授)、シーボルト家の末裔ブランデンシュタイン家に残された資料を手掛かりとする「小シーボルトの日本における活動」(宮坂正英長崎純心大学教授)、さらに、小シーボルトが「日本考古学の黎明期」(小倉淳一本学文学部専任講師)において果たした役割とその今日的評価が報告された。

第二部「日本の民族学的研究−小シーボルト以後−」では、小シーボルトによる日本民族・文化の「多元的(=複合的)」起源論の評価と「小シーボルト以後の日本民族学・文化人類学の展開」(クライナー本学特任教授)、1930年代のウィーン大学において、文化史的民族学や柳田国男、折口信夫の民俗学の影響下に、岡正雄、A・スラヴィクによって民族学的日本研究の基礎が据えられた経緯(住谷一彦立教大学名誉教授「ウィーンにおける日本の民族学的研究−岡正雄とA.スラヴィク−」)、さらに、ウィーン大学に始まる民族学的日本研究が今日ではドイツ語圏の日本研究の中枢を担っていること(ハンス・ディター・エルシュレーガー・ボン大学準教授「ドイツ語圏における日本の文化と社会についての民族学的研究」)が報告された。また、民族学と文化人類学における新しい展開にルロア=グーランの日本文化体験が関与していること(ジョセフ・キブルツ・フランス国立科学研究センター教授「ルロア=グーランと日本文化」)、ビジュアルな資料分析を可能にする画像のデジタル化によって日本研究にも「ビジュアル・ターン」と呼ぶべき新しい展開が始まっていること(セップ・リンハルト・ウィーン大学教授「西洋の日本研究におけるビジュアル・ターン」)が報告された。

二日目、第三部「日本研究と日本コレクション」では、オーストリア工芸美術館所蔵の小シーボルト・コレクションの位置づけの歴史的変遷を辿りながら、コレクションの意義を問う「小シーボルトの工芸美術コレクション」(ヨハネス・ヴィーニンガー・オーストリア工芸美術館東洋部長)、「米国ピーボディー・エセックス博物館所蔵のモース・コレクションから見るペリー以前・以後の日米異文化交流」(小林淳一東京都美術館副館長)、アイヌ関係コレクションの民族学的な意義を問う「ヨーロッパにおけるアイヌ関係コレクション−その民族学的意義と西洋のアイヌ観への影響」(エルシュレガー・ボン大学準教授)、「江戸モノづくり」研究における「コレクションの役割」(鈴木一義国立博物館研究主幹)、江戸後期に蓄積されたいくつかのコレクションの特徴と日本の科学・技術史におけるその位置づけを検討する「江戸期の日本におけるコレクションについて」(ヴォルフガング・ミヒェル九州大学大学院教授)、「子爵澁澤敬三のアチック・ミューゼアム」(近藤雅樹国立民族学博物館教授)、ベルリン国立民族学博物館所蔵の琉球王朝時代の染色コレクションの調査研究を通じて失われた技術の復元に成功した経緯からコレクションの意義を説く「ベルリン国立民族学博物館所蔵の琉球王朝時代の染色コレクションの意義」(祝嶺恭子沖縄県立芸術大学名誉教授)、ヨーロッパに渡った能・狂言面の研究・調査報告からなる「在欧能・狂言面の研究」(西野春雄本学能楽研究所所長)の合計8本の研究発表がなされた。

以上のように、本シンポジウムは、一方で、小シーボルトの学問的業績の再評価を迫ると同時に、彼の投げ掛けた問題を真摯に受け止めることを私たちに提起するものであった。他方で、文化交流における美術工芸品などのモノの果たす役割に目を向けさせ、日本文化研究にとってのコレクションの果たす意義や役割を改めて問い、今後の日本研究や国際日本学のあり方を考えさせるものであった。

また、現在ベルリン国立民族学博物館に所蔵されている、1884年(明治17年)ドイツ政府によって購入された琉球王朝文化コレクションにある琉球衣装を復元した作品2点(絹浅地花織袷衣装、絹紺地手縞袷衣装)を、祝嶺恭子沖縄県立芸術大学名誉教授のご好意で会場の一角に展示することができたが、ベルリン国立民族学博物館所蔵の琉球王朝時代の染色コレクションの調査研究を通じて、消滅していた技術と琉球衣装の復元に成功したというお話は実に感銘深いものであった。かつての日本の文化や生活様式をうかがわせるモノ(=工芸美術品)が、日本ではなく海外の博物館にコレクションとして保存されているというのは、それはそれで有り難いことではあるが、なんとも奇妙なことである。

なお、初日はドイツ連邦共和国、二日目はオーストリアという小シーボルトになじみのある両国から駐日大使をお迎えしてのシンポジウムであったが、両日とも100名を超える参加者があり、目から鱗が落ちる体験をしたのは私ひとりではなかったはずである。

                    【記事執筆:星野 勉(法政大学国際日本学研究所所長)】