【開催報告】平成27年度科学研究費若手研究(B)採択による第1回研究会「石橋湛山と外国語版『東洋経済新報を巡って』(2015.9.30)2015/09/27

平成27年度科学研究費若手研究(B)採択
「戦前の民間組織による対外的情報発信とその影響:英語版『東洋経済新報』を例として」
第1回研究会
石橋湛山と外国語版『東洋経済新報』を巡って


日 時: 2015年9月30日(水)18時30分~20:30
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナード・タワー25階B会議室
報 告: 増田 弘 氏(東洋英和女学院大学)
司 会: 鈴村 裕輔(法政大学)
主 催:      当科研研究代表者・鈴村裕輔(法政大学、研究課題番号:15K16987)
後 援:      法政大学国際日本学研究所

報告:増田 弘 氏(東洋英和女学院大学)

会場の様子(司会:鈴村裕輔(法政大学))

2015年9月30日(水)、法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナード・タワー25階B会議室において、研究会「石橋湛山と東洋経済新報社の対外活動」が開催された。
これは、平成27年度科学研究費若手研究(B)採択「戦前の民間組織による対外的情報発信とその影響:英語版『東洋経済新報』を例として」(研究代表者:鈴村裕輔、研究課題番号:15K16987)による第1回目の研究会であり、講師に増田弘氏(東洋英和女学院大学)を招き、法政大学国際日本学研究所の協賛の下に実施された。
研究会の概要は以下の通りであった。1895(明治28)年に町田忠治が創刊した『東洋経済新報』は、天野為之、植松考昭、三浦銕太郎が編集主幹を務め、石橋湛山が編集主幹となったのは1924(大正13)年のことであった。『東洋経済新報』は英国のEconomistやStatistなどの経済雑誌を手本とし、英国的な民権思想を基礎とする雑誌であった。石橋は1911(明治44)年に『東洋経済新報』の姉妹版である『東洋時論』の記者となり、主に文芸や社会問題に関する記事を執筆していた。しかし、『東洋時論』が廃刊となったために『東洋経済新報』に移籍し、以後、同誌を拠点に経済問題や政治問題についての論説記事を発表した。
石橋は、反藩閥政治、立憲主義の擁護、政党政治の推進といった『東洋経済新報』が創刊以来主張してきた立場を継承しつつ、普通選挙の推進や第二次護憲運動への参画、早稲田大学騒動への介入、太平洋問題研究会の設立など、日頃からの所説を実現させるために具体的な活動を行う実践家でもあった。1924年に『東洋経済新報』の編集主幹になり、1925(大正14)年からは代表取締役専務も兼ねると、1931(昭和6)年に経済倶楽部を設立して内外の諸問題について専門家や実務者が意見を交換し、政策の提言や世論の啓もうを行うなど、出版社としての東洋経済新報社にシンクタンクとして性格を与えている。
また、石橋は、1934(昭和9)年には満州事変後に悪化した日本の国際関係を改善し、日本にも対外拡張主義だけでなく多様な意見が存在することを示すため、英語による雑誌The Oriental Economistを創刊した。The Oriental Economistは、太平洋戦争中もドイツやイタリアといった枢軸国だけでなく、スイスなどの中立国を経由して敵国である米英にも配送された。これは、The Oriental Economistが外国の読者の信頼を得ていることから、軍部も海外への配給を停止しなかったためである。なお、太平洋戦争後に来日したGHQの経済科学局長レイモンド・クレーマーが愛読者であり、来日後に秋田県に疎開中の石橋を東京に招聘したという逸話は、The Oriental Economistの影響力の一端を示している。
一方、石橋は1943(昭和18)年に「朝鮮官民の要望」に応じて京城で『大陸東洋経済新報』を、1944(昭和19)年にリベラル派として知られた香港総督の磯谷廉介中将に要請されて『香港東洋経済新報』を創刊した。また、石橋は、戦時中に社員の規模が60名程度から約300名に増加するなど、東洋経済新報社の経営規模を拡大させている。これらは、一見すると軍部への協力のように思われるものの、石橋が単なる評論家ではなく、経営者としても優れた手腕を発揮したことを示している。
このように、『東洋経済新報』は経済専門誌でありながら、政治的に明確な態度を持ちつつ現実の社会に向き合ったといえる。また、例えば『香港東洋経済新報』には日本国内であれば書けないような記事も掲載されている可能性があるなど、今後、The Oriental Economistや『大陸東洋経済新報』も含め、外国向けに発行された諸誌についても、一層の研究が期待される。以上の増田氏の報告により、『東洋経済新報』と石橋湛山の対外的な活動の概要が明らかにされ、今後の研究の推進に有益な知見が得られた。また、今回は研究者以外にも市民の参加があり、広く市民に開放された研究会となったことを付言する。                                              【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学)】

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