【開催報告】2014年度第7回東アジア文化研究会(2014.11.5)報告記事を掲載しました2014/11/16

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「<日本意識>の現在−東アジアから」
2014年度 第7回東アジア文化研究会

     
日本意識の変容
−漫画・アニメの中国受容を通して
日 時: 2014年11月5日(水)18時30分〜20時30分場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階B会議室報 告: 呉 端(京都フォーラム 研究員)司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

12世紀宋代の随筆《容斎五筆》(著者洪萬)の中で、水鳥が魚を探すために水面を泳ぎながら、嘴で水面に自由に描く模様を「漫画」と言い、この水鳥を漫画者と呼んでいる。この表現が示すように、アニメ・漫画の精神とは、無心であり、無限の空間と時間における物語を自由自在に直感で描くことではないだろうか。
中国は、1980年代の《鉄腕アトム》の放送以来、30年に渡って日本の漫画、アニメの影響を受け、「漫画、アニメの時代」(動漫時代)に入り、人々は文字によって価値判断する習慣から、絵と動画を見ながら、ものを考え、意味を理解する環境に慣れていった。 中国の漫画市場は、日本の漫画とアニメが90%以上を占めている。ある調査報告の結論によると、現代中国の青少年は、日本の漫画・アニメが作った環境(仮想空間)の中で育って成長していると言えるという。では、なぜ、日中両国の政治環境、国民感情の変化にも関わらず、世代を超えて、中国の若者がこうした風雨に負けず、己の感情にも負けず、30年間ずっと日本の「動漫」を愛しつづけてきたのだろうか。
《中国青少年のアニメに対する調査》によると、90%の人は漫画・アニメが好きであり、その中で、無条件に支持する人は80%に達し、アニメから良い影響を受けたと答えを出した人も80%であった。好きなアニメの登場人物のランキングでは、上位20人中、19人が日本のアニメの人物で、残りの一人は孫悟空であった。中国では、漫画とは、日本の漫画の代名詞であり、若者で漫画のことを知らないのは変わり者と見られるほどである。
中国の若者をこれほど惹きつけるものはなにか。その一つに、日本の漫画、アニメに通底している「もののあわれを知る」心があるのではないだろうか。日本の漫画のストーリーの多くは、近代化の合理的な規制、思考を離れ、自然の神々の趣、超越的な境と人間生活の関係、人間の真情を自然の霊性とともに守り続ける多次元の宇宙が明白に表現されている。この「もののあわれ」は、中国の伝統社会における人間中心主義、あるいは生命の道徳性の「漢意」(からごころ)とは違って、万物自然とともにある、普通の生活者の人間像を現わしている。「もののあわれ」の漫画・アニメに宿る人間的本質と、中国の若者が、身体で、そして生活体験のなかで実感した人間的もの、社会的、自然的なものとが一致し、通じあえるという感覚こそが、日本の「動漫」への支持を内から支える力なのではないだろうか。例えば、少年と妖怪の友人をテーマにした《夏目友人帳》というアニメの中の「もののあわれ」は、中国の若者を魅了しており、その好評は、何年間にわたって連続一位を占めている。
また、日本の漫画・アニメの特徴は、政治的、経済的に組織化された日本ではなく、文化的、人間的、感情的、生活的、生命的観点から表現された、深層的で、多次元の日本観を創出しているところにある。「動漫」のストーリーが展開される空間では、生命、友人、家族、学校、商店街、地域社会等が良く描かれており、国家は抽象化され、人種、民族といった概念も薄い。「動漫」の時間領域は、過去、現在、未来、平行宇宙を超え、生と死を超え、そこには、精霊、動物、植物といった、あらゆる地球上の生命体が登場し、はるか生命誌の宇宙にまで拡大していく。未知を既知にする、いわゆる常識を超えて、既知を未知へと、想像の領域を広げていくことで、若い世代の主人公の意識を涵養し、日本の漫画・アニメの世界では、いわば、「感物知情の心」としての日本観が形成されている。
こうした日本のアニメに親しむ中国の青少年は、世論の社会調査結果とは異なり、国家としての日本、また、日本人という国民としてではなく、アニメの中で、自然的、霊性的、生活的、心と心のふれあいを認知することで、国家や民族といった違いを超えた、人類の共進に寄与する、生命観的認識を獲得しているのではないだろうか。
日本の漫画の原点は七世紀における真言宗の<鳥獣戯画>にある。擬人化された鳥獣によって生命の意義を現わすことは、中国の脱鳥獣による人間中心主義と異なった世界観である。《論語・微子》で孔子は「鳥や獣とは同じ仲間にはなれない。わたしは、この人間たちと一緒におらずにいったい誰と一緒にいるのだ。天下に道が行われているなら、わたしも改めようとはしない」と語っている。
孟子の「惻隠の心は仁の端(始まり)なり」の説は、いわば「人のあわれ」を示したものと言えよう。日本の漫画・アニメの「もののあわれ」の思想と「人のあわれ」の風土が融合し、このような「あわれ」を感じあう優しさの環境の中で育まれる、分業、分別のない想像/創造の共同体(白石さや)によって、人間と自然の本来のあり方である「大地性の回復」(鈴木大拙)が可能となり、近代国家・国民の形成過程による対立を解く道は開かれていくのではないだろうか。

【記事執筆:呉 端(京都フォーラム 研究員)】


呉 端氏(報告者)


会場の様子

 

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