第2回研究会「地獄草紙のカリカチュアとしての勝絵」(2013.7.20)

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」
アプローチ(1) 「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第2回研究会

地獄草紙のカリカチュアとしての勝絵

  • 開催期間: 2013年12月20日(金) 18時30分〜21時00分
  • 報告者 : 出口 弘(東京工業大学 大学院総合理工学研究科教授)
  • 会 場 : 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階B会議室
  • 司 会 : 田中  優子(法政大学国際日本学研究所所員、社会学部教授)

 

2013年度第2回研究会は、東京工業大学大学院総合理工学研究科教授の出口弘氏を迎え、「地獄草紙のカリカチュアとしての勝絵」と題して行われた。

出口氏はエージェントベース社会システム科学、社会シミュレーション及び主体を含む複雑系、進化経済学、ゲーミングシミュレーションを主たる専門とし、文科系、理科系という枠組みを超えた、「文理融合型研究」の実践に取り組んでいる。出口氏はエージェントベース社会システム科学、社会シミュレーション及び主体を含む複雑系、進化経済学、ゲーミングシミュレーションを主たる専門とし、文科系、理科系という枠組みを超えた、「文理融合型研究」の実践に取り組んでいる。主著に『複雑系としての経済学』(2000年)、Economics as an Agent Based Complex System(2004年)などがある。

今回は、鳥羽僧正覚猷が作者に擬せられている勝絵を、出口氏が近年取り組んでいるコンテンツ論の観点から検討し、勝絵の構造や思想史的な特徴が分析された。

報告の概要は以下の通りであった。

鳥羽僧正覚猷が作者に擬せられている勝絵の内容は、一般に「陽物くらべ」と「放屁合戦」に分けられている。勝絵は、平安時代から幕末に至るまで絵画の分野に大きな影響を与え、多くの派生的な絵巻が作成された。しかしながら、歴史的な解釈は定まらず、卑猥で尾籠な絵巻として各種の議論を引き起こしてきた。また、覚猷は『鳥獣人物戯画』の作者にも擬されているため、勝絵と『鳥獣人物戯画』との関連性の有無にも注意する必要がある。そこで、今回は実物資料に基づき文化史的、思想史的な観点から勝絵の解釈を行う。今回の報告では、早稲田大学図書館、圓満院、サントリー美術館、報告者自身の所蔵する勝絵13種を題材とする。

勝絵は尾篭で卑猥とされ、確かに男女の裸体は描かれているものの、性的な描写はない。これは、勝絵がエロティックなものではなく、裸体の人物が彷徨する姿が描かれた地獄草紙のパロディであることを示唆する。このように考えると、勝絵の「陽物くらべ」と「放屁合戦」は、地獄草紙における「地獄の入り口での閻魔大王の審判」と「地獄の責め苦」を手本にし、勝絵と地獄草紙は一体をなしていると理解できる。また、勝絵と並び覚猷の作とされる『鳥獣人物戯画』も畜生道のパロディといえる。このように、勝絵も『鳥獣人物戯画』も、実在する場所ではなく精神のあり方としての地獄の様子を示すための風狂の精神に満ちた絵巻であると解釈できる。さらに、勝絵の構造については、従来の「陽物くらべ」と「放屁合戦」に先立ち、「服を着た群衆が追い立てられる」という第三の部分を含め、三部構成と考えることが妥当といえるだろう。

平安時代から幕末に至るまで様々な派生的な絵巻が作成された勝絵については、「大正十二年晩秋」の記載のある、「陽物くらべ」だけを模写した巻物が作られている。大正時代の写本は最後の場面に「放屁合戦」の最初の場面が描かれており、模写の手本には「陽物くらべ」と「放屁合戦」が含まれていたことが推定される。また、勝絵には、絵師の工房で作成する絵の手本となるべき写本である粉本の存在することが確認されている。

ところで、勝絵は各種の二次創作がある。例えば、サントリー美術館の所蔵品は「放屁合戦」を中心として描いており、室町時代の作と考えられ、放屁が中心的な話題となる絵巻物『福富草紙』の影響を受けていることが推測される。あるいは、菱川師宣の作と伝えられる勝絵は、男女が混合で放屁合戦を行う、騎乗で放屁が行われている、陽物くらべがない、裸体の場面が少ない、という、古写本にはない特徴を備えており、師宣の真作であるかは分からないものの、趣向からは江戸時代の作品と思われる。また、皿回しなどの曲芸の描写も、二次創作の一つの典型である。

最後に、思想史的観点から勝絵を分析すると、勝絵は風狂思想に基づく絵巻といえる。すなわち、現世に生をうけたものは、善悪の行為によって六種の世界(六道)を輪廻する宿命を免れえないとする仏教の因果応報の思想に基づく六道絵、地獄の様子を描いた地獄草紙、飢えと渇きに悩みながら人間界に出没する餓鬼の諸相を描いた餓鬼草紙のパロディとし、地獄の実在を説く源信の『往生要集』に対抗して作られたのが勝絵なのである。しかし、地獄の実在が信じられた平安時代に比べ、室町時代になると地獄が精神的な側面で恐怖の対象になるという「地獄増の変遷」が生じたため、勝絵に対する人々の理解も変化したことは、本来一体であった「陽物くらべ」と「放屁合戦」が二次創作の中では「陽物くらべ」を中心とする作品と「放屁合戦」を取り上げる作品とに二分化した。そして、明治初期に絵金や河鍋暁斎による二次創作を最後に、勝絵の系譜は日本の絵画史の中から表面上は途絶えることになったのであった。

本報告では、しばしば否定的な観点から眺められやすい勝絵を、構造分析と思想史的な考察によって検討することで、中世から近代に至る人々の意識の変遷が追究された。勝絵という視覚資料の分析の方法を含め、「日本意識」を考える上でも、出口氏による報告は意義深いものであった。

【報告記事執筆者:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】
【報告記事監修:田中優子(法政大学社会学部教授)】

 


報告者:出口弘氏(東京工業大学 大学院総合理工学研究科教授、中央)と会場の様子