第6回東アジア文化研究会 『孫が語る「郭沫若と日本」―その異国体験の意味』(2013.10.30)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」
2013年度 第6回東アジア文化研究会

孫が語る「郭沫若と日本」
—その異国体験の意味

日 時: 2013年10月30日(水)18時30分〜20時30分
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー25階B会議室
講 師: 藤田梨那(国士舘大学教授)
司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

郭沫若は1892年に四川省楽山に生まれた。郭沫若は?迅と同様、清朝末の旧家に生まれ、豊かな古典教養をもつ。?迅と比べてより複雑な点は、政治への参与である。1920年代、蒋介石に従って北伐に参加したが、後蒋介石から離脱し、共産党の傘下に入る。抗日戦争を経て、新中国誕生後、副総理に就任、中国科学院院長を歴任する。
政治家の他に詩人という一面があり、『女神』という詩集が代表作である。これは日本で作られ、中国口語詩を確立させたものである。更に、歴史家、考古学者、古代文字研究家、書法家という側面もある。主な著作には、『女神』『星空』『蔡文?』『屈原』『創造十年』『中国古代社会研究』『甲骨文字研究』等がある。彼の詩歌創作は留学期にスタートし、歴史研究は日本亡命期に始まった。郭沫若の生涯に於いて日本との関わりは重要な意味を持つ。この二つの時期は険悪な日中関係があったのも事実である。
郭沫若87年の人生の中で、3回日本に滞在、都合20年になる。
1.留学?1914年〜1923年 九州帝国大学医学部
2.亡命?1928年〜1937年 千葉県市川市須和田
3.訪日?1955年11、27~12、26 中国科学者訪日団団長として来日。
留学期の郭沫若は日本で様々な体験をした。とりわけ佐藤富子との出会いは彼の人生を大きく左右する出来事であった。佐藤富子は明治28年仙台に生また。幼少時代はミッション学校で過ごし、1914年ミッション学校卒業した頃、両親は彼女の結婚相手を決めたが、富子は反発して、家出をした。彼女は東京にある教会聖ロカ病院の看護師になった。
1916年郭沫若の友人陳龍?が肺?核を患って、聖ロカ病院に入院していた。 8月郭沫若は彼を見舞した際、看護師佐藤富子と出会う。これは運命的な出会いと言える。彼は友人田漢宛ての書間に告白する。「初めて私の安娜を見た時、彼女の眉?に輝く一種不思議な潔光に粛然とした敬愛の念が生じた。思うに、神様が私を憐れんで、失った契己の友人の代わりに一人の淑女を下さり、私の空白を補ってくださった。」(《三叶集》)それからは、彼らは英語と日本語で文通を始めた。彼は初めて自由恋愛を体験した。自由恋?は次のポイントに於いて彼に大きな役割を果たした。
1.?人の誕生、詩集『女神』の誕生。
2.キリスト教への開眼。
3.自我の目覚め。
4.人生の危機を富子の助けで乗り越えた。
風景の発見も重要な体験である。1914年の夏、彼は房総北条鏡ケ浦の海へ行って、初めて海水浴と登山を体験した。その中で故郷の風景を発見した。風景の発見は同時に内面の発見の契機となり、内面の発見につながっていった。彼の口語詩はその一連の発見の中で出現した。『女神』の「筆立山頂の展望」、「登?」は山登りに関係する詩歌。「海を浴す」「光る海」「砂上の足跡」などは海、水泳と関係する。
1927年蒋介石がクーデターを企て、これまでの国共合作に反旗を翻す。共産党員に対する粛清を開始。郭沫若はそれを批判する文章「請看今日之蒋介石」を発表、蒋介石の逆鱗に触れ、逮捕命令が出された。1928年に郭沫若一家は日本へ逃亡し、1937年7月まで約9年間の亡命生活を送る。その間日々警察に監視されていた。中国古代社会研究と古代文字研究はこの時期に始まる。またマルクスの『政治経済学批判』『ドイツイデオロギー』の翻訳も試みた
1937年日中戦争が始めると、郭沫若は秘密裏に日本を脱出して中国に帰国し
た。郭安娜は夫を守るため逮捕され、拷問を受けた。1948年郭沫若と再会するまで、ひとりで5人の子供を育てた。その間、様々な苦労をした。ある日岩波書店社長岩波茂夫がやって来て、郭沫若の長男郭和夫の学費を出すと申し出た。岩波さんと郭沫若は面識がなかった。しかし郭和夫が京都大学を卒業するまで岩波さんはその約束を守った。このことは、戦争の中でも日中両国民の良心は依然として生きていた証である。
日本敗戦後、1948年安娜は郭沫若と再会し、中国に定住した。1983年郭安娜はアジア・アフリカ平和賞を受賞。 1994年101歳でこの世を去った。
郭沫若にとって日本は、風景の発見、自我の目覚めを促した第二の故郷。日本の自然、人文環境は彼に近代詩歌を創造する環境を提供した。
異文化の出会い、交流は、新しい創造に繋がる一方、国家的利害が絡んできた時に常に複雑な様相を呈してくる。その中にいる人々は愛と悲しみ、苦悩をいやでも味わわなければならない。多くの別れ、誤解、流亡、悲劇が生まれる。郭沫若と佐藤富子はそれを体験し、それを生きた人である。
彼らの人生は今日私たちに多くの事を考えさせられる。彼らが生きた時代の問題は今日でもなお存在しているのではないか。国家間の問題、個々人の思い、文化間の交流、このような関係をどう遇したらよいのか?これは私たちがよく考えなければならない問題である。グローバルな文化交流にとって避けて通れない問題であろう。
【記事執筆:藤田梨那(国士舘大学教授)】

 
講師:藤田梨那氏 (国士舘大学教授)

 

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