国際シンポジウム『日本とはなにか-日本民族学の20世紀-鳥居・澁澤・梅棹・佐々木』(2013.10.18-20)

法政大学国際日本学研究所 「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトの研究アプローチ(2)「近代の<日本意識の成立>」では、国際シンポジウムを開催いたしました。

国際シンポジウム

日本とはなにか—日本民族学の20世紀
—鳥居・澁澤・梅棹・佐々木

■日 時
2013年10月18日(金) 13:00〜18:00
2013年10月19日(土) 10:00〜18:00
2013年10月20日(日) 10:00〜15:00

■場 所  法政大学九段校舎3階 第1会議室

■企 画  ヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所 客員所員)

10月18日(金)

法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>再検討─日本意識の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ2「近代の<日本意識>の成立─民俗学および民族学の貢献」では、2013年10月18日(金)から20日(日)の3日間にわたり、国際シンポジウム「日本とな何か─日本民族学の20世紀─鳥居龍蔵・澁澤敬三・梅棹忠夫・佐々木高明」を法政大学九段校舎3階第一会議室で開催した。今回は日本国内と韓国及びドイツを含む研究者15名の発表があり、一般参加者167名の聴講があった。
このプロジェクト採択に先立つ段階で、大森貝塚の発掘を行った小シーボルトと日本民族学・考古学の黎明、また、柳田国男の『後狩詞記』の民俗学の草分け的評価について国際シンポジウムを開催し、その成果は二冊の報告書にまとめられた。プロジェクト採択当初の2年目までは、昭和10年代から20年代にかけての時期に絞って民俗学と民族学の両みんぞく学のパラダイムの変化を討論してきた。この時期の日本は、戦前の大日本帝国及び植民地国家から戦後の単一民族国家へと変わった。この歴史的なプロセスで両みんぞく学のパラダイムがどういうふうに変化してきたのか、また、「日本」という意識はどう変化したのかという重大な研究課題を検討し、その研究成果を報告書『近代<日本意識>の成立』として刊行することができた。プロジェクト3年目には、日本民族学の生みの親ともいわれる岡正雄の業績を取り上げ、いくつかの研究会、国際シンポジウムで討論した。この研究では、両みんぞく学だけではなく、考古学、言語学、社会人類学といった隣接諸科学も取り上げ、報告書『日本民族学の戦前と戦後─岡正雄と日本民族学の草分け』にまとめられた。今年度のシンポジウムでは、20世紀の民族学ないし文化人類学の発展と最も深い関わりがある四人の先駆者の業績を取り上げて討論した。その際、韓国の研究者の最近の調査・研究成果にも注目し、もう一名、金関丈夫という自然人類学者も視野に入れた。
鳥居龍蔵(1870-1953)は、生涯を通じてアジア中心に幅広い実地調査を行った研究者として知られている。北は千島アイヌ、樺太、シベリア東部、南は台湾、西南中国、田代安貞、伊波普献と接触しながら沖縄を、そして1905年以降は何度にもわたり朝鮮半島、満州、中国北部の河北の調査を重ねた。特に考古学、宗教、神話の面において日本との比較を行った。鳥居の重大な成果は、日本文化は少なくとも南と北の二つの影響を受けて成立したという見解であった。岡正雄は、鳥居から比較の手法、考古学の成果を文献と照合する方法を受け継いだのではないかとみられる。

  

             齋藤玲子氏            手塚薫氏

 

             田村将人氏     ハンス・ディータ・オイルシュレーガー氏

   

            佐々木史郎氏     左より:佐々木利和氏、ヨーゼフ・クライナー氏

10月19日(土)

次に取り上げた澁澤敬三(1896-1963)は、日本の近代化に大きく貢献した澁澤栄一の孫として、経済界の指導者および実業家として大きな業績を残している。しかし、民俗学、民族学の研究分野でも大きく活躍したことも見逃すことはできない。澁澤の残した業績の中でも特に重要な点は二つある。一点目は、文字を中心とした文献学的研究にモノという新しいカードを入れた、日本の物質文化の研究の開拓者であったことで、アチックミュージアムで収集した民具は後に民族学協会附属博物館(保谷)を経て国立民族学博物館の基礎となっている。すなわち、澁澤は現在、諸外国で行われている日本研究のパラダイムシフト、ビジュアルターンの50年、60年前の先駆けであった。二点目は、澁澤が学際的ないし共同研究の重要性を常に強調したことである。その点で、日本民族学会の設立と同時に人類学会の連合大会の開催を進め、戦後には九学会連合を設立し、その調査と研究に深く関わってきた。こういった日本の動向は、外国で行われていた日本研究においても注目を集めた。ウィーン大学が組織した阿蘇地方の学際的共同研究はその好例の一つである。
梅棹忠夫(1920-2010)は、非常に細かい実地調査のフィールド・ノートを残した研究者として知られているが、日本文明を新しい観点から見つめ、西洋と比較した大きなビジョンを展開した代表的な日本の研究者である。この文明学の確立と発展のために、昭和32年に発表した「文明の生態史観序説」という基礎的な意味をもつ論文以降、主に昭和58年から17回にわたって国立民族学博物館で開催した谷口シンポジウムの文明学部門の席で、アメリカ、ヨーロッパをはじめアジア、オーストラリアの研究者と一緒に討論した。また、国立民族学博物館の設立者・初代館長としての業績も忘れることはできない。
金関丈夫(1897-1983)は自然人類学者であり、戦前は台北帝国大学で活躍し、雑誌『民俗台湾』の紙面上で大東亜民俗学の可能性を展開した。これを取り上げ、法政大学の川村湊をはじめ、最近20年にわたって非常に厳しい金関批判が行われた。それに対して、ソウル国立大学の全京秀は、当時の学問がおかれていた厳しい状態を指摘し、むしろ金関の努力を認めるべきだと強調した。

 

            小林光一郎氏           曽士才氏

 

            清水昭俊氏           中牧弘允氏

 

      クリストフ・アントワイラー氏        中生勝美氏

 

            小長谷有紀氏      左より:福田アジオ氏、ヨーゼフ・クライナー氏

10月20日(日)

佐々木高明(1929-2013)は京都出身の地理学者で、焼畑農業の比較研究で日本国内をはじめ、中国、東南アジア、インドなど広い地域において細かく調査を重ね、その成果として植物学者の中尾佐助と一緒に「照葉樹林文化」を日本文化の源流とした学説を打ち出した。これは現在でも定説で、主に考古学の世界で調査・研究が進められている。また、南からの日本文化と同じように、北のほうからの「ナラ林文化」が影響した可能性も視野に入れ、アイヌ文化研究と接触し始めた。
このシンポジウムの数々の重要な発表と討論を簡単にまとめると、日本文化の多元的起源の学説の流れ(鳥居、岡、金関、佐々木)に対して、日本文化を一元的なものとして取り扱ってきた学説(柳田國男、石田英一郎、全く違った観点から梅棹)の二つの学説の流れを、20世紀を通じて出された「日本意識の形成」という問いかけに答えるパラダイムとしてみなければならないという結論に至った。
なお、シンポジウムでの発表と討論は、年度内に刊行する予定である。

             全 京秀氏           小山修三

 

             秋道智彌氏           桑山敬己氏

【記事執筆:ヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所客員所員)】