第3回東アジア文化研究会 『近代東アジアの文脈における日本語:中国人日本語学習史からの視点』(2013.6.26)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」
2013年度 第3回東アジア文化研究会

近代東アジアの文脈における日本語:中国人日本語学習史からの視点

 

日 時: 2013年6月26日(水)18時30分〜20時30分
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階 国際「日本学研究所セミナー室
講 師: 沈 国威(関西大学外国語学部教授)
司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

中国の研究者劉進才氏は、アンダーソンが提起した近代民族主義の発生と民族国家の言語:国語の形成との関連について、「ヨーロッパ各民族言語の形成において、それぞれの現代民族国家の言語の誕生は古い神聖言語:ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語の束縛から脱却し、地域方言へ接近し、また現代的印刷術により各方言地域において書面語を確立させた結果である」と解説し、また、「清朝末期の中国にとって、民族主義の発生と印刷言語の形成はヨーロッパと同じではない」とも指摘している。中国はヨーロッパと同じではない。特に印刷言語の面では同一視できないとの主張は肯けるが、近代におけるアジア諸国の国語形成は、個別言語の問題である以前に、漢字文化圏域内の国・地域が如何に民族国家として国語を獲得するかという東アジア全体が直面する近代的な課題を解決しなければならないという点において、むしろヨーロッパと多くの類似性を有する。われわれは問題意識を伝統的な言語が近代民族国家の言語に進化していくという側面まで拡大させる時、次のような事実に直面するであろう。つまり表意文字の漢字は、片方では「神聖言語」の古典性を有しながら、片方では言語を超越する書写記号体系になりうるという現実である。漢字は、漢字文化圏に言語の記録手段を提供するのだが、同時に漢字によって記録された古典は、文章の規範を示しているのである。漢字によって表現が可能となったが、その表現の自由度が漢文によってまた厳しく制限されている【1】【2】。

【1】 劉進才、『語言運動與中国現代文学』、中華書局、2007年13〜14頁。
【2】 安德森著,呉叡人訳、『想象的共同体』、上海人民出版社、2005年、38〜47頁。

従って域内の各国の近代国語の成立は、まず脱漢文の過程を経なければならないが、漢字はたやすく切り捨てることができなかった。例えば日本では明治初期から様々な議論があり、また実際の施策も数多く試みられたが、漢字の地位は揺るぎなかった。それどころか、漢字文化圏は正に古い漢字によって西洋の近代知識を受容しえたのである。現在、すでに自らの言語の表記体系から漢字を排除した国家、地域でも大量の漢字音が相変わらず書面語の主要な部分を占めている。
日本語が近代国家の国語へ変身するプロセスにおいて漢字語が決定的な役割を果たした。漢字語の存在によって日本語は国と地域にとって、迅速に新しい知識を取り入れる可能性を有する言語として、漢字文化圏において初めて非母語話者の習う対象となり、漢文(古典中国語)の役割が変化した。かくして東アジアが西洋の知識を受容するに当たり、日本語が他の言語に大きな影響を及ぼすことになる。
しかし、日本語の学習に関しては植民地支配、植民地における言語政策の推進を背景にある台湾や朝鮮半島の事情と異なり、中国は、むしろ自ら進んで日本語を学習し、日本書を翻訳しようとしたのである。お雇い日本人の招聘や日本留学のブームなど、いずれも明治初期の日本と似ている主体性が保たれていた。筆者の最近の研究の興味は近代以後——日清戦争から五四運動までの間に中国人はいかに日本語を認識し、それをマスターするようになったのか。言い換えれば、中国人の日本語知識獲得の歴史と日本語翻訳集団の形成史である。それまでに全く存在感のない日本語が短期間に学習の対象になり得た理由、中国の民衆は日本経由で西洋の知識を取り入れることに躍起になった経緯、動機付けなどについて、筆者は「中国における近代知の受容と日本」「日本発近代知への接近————梁啓超の場合」で考察したことがある。この講演では、日本知識に対する中国人の意識変化と梁啓超による日本語速成的学習法の提唱に焦点を絞って考察する。
日本語との遭遇により中国語は大きな影響を受けた。その影響は主に人(中国人留学生、お雇い日本人[日本教習と呼ばれていた])、書物(教科書、英語辞書、翻訳書)、媒体(各種の新聞雑誌)によってもたらされてきたことを具体的な事例で説明した。

漢字とそれによって記録されている典籍の間に切っても切り離せない関係が存在しない【3】【4】。
【3】沈国威編『漢字文化圏諸言語の近代語彙の形成——創出と共有』所収、関西
大学出版部、2008年、1〜41頁。
【4】『東アジア文化交渉研究』第2号、2009年、217〜228頁。

近代語彙体系の形成に限って言えば、中国語は日本語より数千の新語、訳語を手に入れた。換言すれば、現代中国語の語彙体系の中に、数千にのぼる語がその形成過程において日本語となんらかの関係をもったことになる。語数にせよ、意味上の重要性にせよ他の言語からの外来語とは比較にならないほど日本語の影響は深刻なものであった。同時に語彙以外の問題についても、考えなければならない。即ち近代知は日本借用語を媒介として中国に導入されたことは周知の事実である。直接日本の訳語を利用することは訳語制作の手間が省かれたが、日本語の影響が何らかの形で残るのは必至であろう。このような影響を点検することにより、中国は西洋の新概念を導入する際、日本とのインターアクションが明らかになるであろう。

【記事執筆:沈国威(関西大学外国語学部教授)】

  
講師:沈国威氏 (関西大学外国語学部教授)


左より:王 敏氏(法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)、沈国威氏(関西大学外国語学部教授)


会場の様子