第1回東アジア文化研究会 『禹王を巡る日中の文化交流』(2013.4.10)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」
2013年度 第1回東アジア文化研究会

禹王を巡る日中の文化交流

日 時: 2013年4月10日(水)18時30分〜20時30分
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階 国際日本学研究所セミナー室
講 師: 大脇 良夫 (日本と中国の禹王遺跡行脚研究家)
司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

1.研究の端緒
富士山や丹沢山を源流に持ち静岡県東部から神奈川県西部に流れる全長46kmの酒匂(さかわ)川(かわ)は、足柄平野に豊かで清冽な水と肥沃な大地を与える一方、急流河川で有名であり暴れ川にも豹変し1650年からの450年間の大水害は、45回とほぼ10年に一度に及んでいる。富士山宝永噴火(1707年)の噴火砂の約7割は、酒匂川に流れ込んだと云われており、河床を上げ続け酒匂川流域を洪水の坩堝(るつぼ)に陥れたことから「富士山噴火災害とその教訓」を研究する者にとつて酒匂川の名を知らない者はいない。地元の立場から私も加わっていたのだがその過程で、酒匂川の治水神が中国初代の帝王・夏の禹王の別名「文命」であることを「文命社の神社明細帳」で目にして以来、その不思議に深く打たれた私は、日本全国にも同じような例があるはずと禹王遺跡行脚を開始した。2006年11月のことであった。

2.2013年3月までの研究成果概要
2006年11月から2013年3月までの研究成果の概要は以下の通りである。
1)禹王遺跡の時代別・種別一覧:江戸、明治期中心だが昭和、平成にも建立されている

2)禹王遺跡建立地に共通する特徴:下記3条件が合い備わって禹王遺跡は建立、存続する
A.水害の多発地帯(防災祈願や収穫豊穣祈願の必要な地) ≪建立必要条件≫
B.禹王(文命)を熟知する儒学者や土木家の関与 ≪建立十分条件≫
C.建立された禹王遺跡の価値を認め継承して行く文化の存続 ≪存続維持条件≫
3)63箇所中の17箇所は日清戦争後、友好条約締結までの「日中間に諍いのあった不幸な時期」(1894〜1972年の78年間)の建立である。この間にも中国初代の帝王・禹王が
治水神として日本の各地に建立され崇められてきたことの意義を味わい考察したい。
なお、各地の詳細は2013年7月発刊予定の『治水神禹王をたずねる旅』(人文書院、
大脇良夫・植村善博共著)を参照されたい。

3.おわりに
禹王遺跡発見の足跡を数で示すと、2006年3ヶ所、以下07年7、08年8、09年14、10年18、11年22、12年50、13年63ヶ所と、11年以降、急増している。禹王遺跡行脚の開始から丸4年を経た09年末、当時の禹王遺跡研究の仲間(群馬・片品村、神奈川・開成町、山梨・富士川町、京都市・鴨川、大阪市・淀川、香川県・高松市、大分県・臼杵市)に「禹王文化まつり」開催を呼びかけた。その結果、2010年神奈川県(開成町)と12年群馬県(片品村)で開催したが、禹王遺跡所在地の一般市民を中心に4日間合計で3千人余が集まった。このような禹王遺跡への関心の高まりにより、2011年以降に禹王遺跡の発見数が増加したのではないかと推察する。今後も、禹王遺跡の存続維持条件である「建立された禹王遺跡の価値を認め継承して行く文化の存続」を、各地とともに着実に進めて行きたいと思っている。
また、2011年から中国の禹王遺跡調査も開始した。中国にしか見られない素晴らしい禹王遺跡の数々と、中国の方々に伝えたい日本独特の遺跡と文化という、日中双方の良き歴史文化を紹介し合い、互いに認め尊敬し合える会合を近い日に持つことが出来たらと念願している。2014年10月18日〜19日広島・平和公園で開催の第4回「禹王文化まつり・広島」をそのターゲットとして秘かに願っている。
【記事執筆:大脇良夫(日本と中国の禹王遺跡行脚研究家)】

 

講師:大脇良夫氏 (日本と中国の禹王遺跡行脚研究家)

会場の様子