第10回東アジア文化研究会『日本対立の心理』(2013.1.23)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」
2012年度 第10回東アジア文化研究会

日本対立の心理

日 時: 2013年1月23日(水)18時30分〜20時30分
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階 B会議室
講 師: 石川 好 (作家)
司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

講師 : 石川 好氏 (作家)

             日中間に前景化する悪夢

中国の歴史は古代、「中原」と呼ばれる地域が文明の中心(中華)にあり、その中原の東西南北の四方を、それぞれ「東夷」・「西戒」・「南蛮」・「北狄」と侮蔑的な名称を付けていた。
この区別から見れば、日本は朝鮮と並び「東夷」に位置している。
中原(中華)は、古代以来、この東西南北の異民族から、しばしば侵入を受け、仮に中国三〇〇〇年の歴史というものがあるとすれば、その半分近い歳月は、この東西南北からの異民族が支配する王朝を建てていた。
その史実は、近代になっても続き、イギリスによるアヘン戦争によって大陸の南部の海岸都市を奪われ、後にポルトガルやドイツそしてフランス・日本・アメリカなどが租借地を作り出す。これは西洋近代文明が、「南蛮」として、中国史に立ち現われたと見なすことができるであろう。
では、「東夷」たる日本は、中国史にどのように立ち現われているのか。近代以前には豊臣秀吉の明への出兵と倭寇による中国大陸の南部海岸諸地域への侵略として、記憶されている。すなわち、まず「南蛮」の一勢力としても立ち現われたわけである。
そして近代になり朝鮮半島を支配下に治めた日本は、満州に侵攻し、そこに満州国を建てる。すなわち今度は「東夷」として中国に立ち現われたのである。さらに満州から兵を南下させ、中国全土に攻め入る。いわゆる「十五年戦争」である。ということは日本(東夷)近代はまず海を渡り「北狄」として中国の東北部を支配下に置き、その上で万里の長城を越え、中原に攻め込み、十五年近く、中国全土を修羅場化したのであった。比喩的に言えば「日の丸」をかざし、あたかも古代の?奴のように「日本鬼っ子」として立ち現われたのである。
以上述べたように中国史を貫く恐怖感とは、文明の中心地たる中原(中華)に対し、東夷・西戒・南蛮・北狄が攻め込み、中原にこれら異民族による王朝を作られるその過程で受けた被害の大きさに由来している。
問題なのは、近代日本が中国大陸で犯したことが、歴史から見れば直近のことであるがゆえに、その被害は、何かのきっかけで昨日のこととしてよみがえる記憶に直結するということなのである。
そのことに関する認識が、残念ながら日本の側には、極めて希薄なのである。日本人は忘れることに関しては特別な才能を持つ民族なのかもしれない。
日本人が考える歴史あるいは歴史の見方と、中国人のそれは大きく異なっている。その点についても双方のギャップは余りに大きいのだ。
今日、日本と中国は尖閣諸島の領土と主権を巡って、厳しい対立状況になっている。日本からすれば、これは「問題」ですらない。中国が一方的に領土・主権を主張しているに過ぎない、と不快感を現わすのみである。
他方の中国は、日本側の主張に対し、これは「問題あり」であるから、この島々を巡って交渉のテーブルに着くべし、と強く迫る。その結果きびしい対立になってしまったのだ。
私が心配するのは、国家と国家が自らの意志で衝突しなくても、すでにその島々を巡って、連日のように公船どうしが接近し、ときには飛行機までもが接近する事態が起きている限り、不測の事故は起こり得るからである。
すなわち「一声の銃声」が大きな戦争を引き起こすように、尖閣を巡っての危険性は、極めて高くなっているのである。「日中公船どうしの衝突」。そうなった瞬間、中国民衆の間に、かつて「北狄」として中原に攻め入り、多大な被害を与えた日本軍鬼っ子の記憶がよみがえることになるであろう。そして、その後に何が起こるのか・・・。十五年戦争のことを想い出してもらいたい。答えはその中にあるからだ。
これこそが、日中関係に前景化している「悪夢」なのである。

【記事執筆:石川 好 (作家)】

 
会場の様子