第3回研究会『「近代の<日本意識>の成立-日本民俗学・民族学の貢献」』(2012.11.30-12.1)
「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(2) 「近代の〈日本意識〉成立」
2012年度 第3回研究会
『日本民俗学・民族学の貢献』
日 時 2012年11月31日(金)−12月1日(土)
会 場 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー25階B会議室
司 会 ヨーゼフ クライナー(法政大学国際日本学研究所兼担所員・国際戦略機構特別教授)
石川 日出志 教授(明治大学)
2012年度の最後の研究会では、3月の国際シンポジウム「岡正雄—日本民族学の草分け」に引き続き、岡正雄の学説を隣接諸科学、すなわち考古学と言語学の観点から再評価する試みを行った。岡正雄は、ヴィーン大学に提出した1000頁に渡るドイツ語による博士論文Kulturschichten in Alt-Japan(古日本の文化層、1933年)の中で、柳田國男の民俗学、折口信夫の古代研究、そして鳥居龍三などの人類学の膨大な資料を分析し、日本民族文化がいくつかの異なった文化層に分けられると強調した。またその各文化層を考古学的また言語学的に定義し、旧石器時代以降、古墳時代に至るまで何度かにわたって大陸の異なった地域から日本に流れ込んできたのではないかと推定した。この学説は、1948(昭和23)年に行われた対談「日本民族文化の源流と日本国家の形成」において、石田英一郎の司会のもとで行われた八幡一郎、江上波夫との対談の中で示され、雑誌『民族学研究』に発表した。これは、日本の学界のみならず、一般社会にも大きな反響を起こした。ただ、元になる独文の論文は長い間未刊行で「謎の大著」と言われた。この論文は、今年の夏に三菱財団の支援を受けて出版され、初めて総合的に紹介された。3月のシンポジウムでは、岡正雄の直弟子である祖父江孝男、住谷一彦、岡田淳子をはじめドイツとオーストリアの研究者を交えて2日間にわたって討論されたが、岡正雄の学説と非常に深く関わり合っている考古学と言語学からのアプローチが不足していたようなので、今回の研究会ではその両分野の専門家にお願いして、発表・討論していただいた。
初日である11月30日には明治大学文学部教授の石川日出志先生に「日本民族起源論における考古学と岡正雄の乖離」というタイトルで報告していただいた。石川先生はまず、岡は柳田の談話会に参加し、またすでにヴィーンへ留学する前に、前世代を代表する学者である鳥居龍三の学説が岡の学問形成の下地になったのではないかという重大な指摘をされた。そのうえで江上波夫と八幡一郎の発言に注目し、江上のいわゆる騎馬民族征服王朝説に対する考古学、なかんずく小林行雄の非常に厳しい批判を紹介した。また、それと打って変わって、八幡発言に対する考古学界の無反応の背景について触れ、そういった考古学界の反対はありつつも1970年代に入って、岡の学説を歴史民族学の立場から引き継いだ大林太良の論文「縄文時代の社会組織」、そして、佐々木高明の『稲作以前』という照葉樹林文化論として知られている学説が、日本の考古学界に大きく影響ないし刺激を与えたことを指摘し、報告を締めくくった。
また、2日目となる12月1日には、言語学の分野について、獨協大学外国語学部准教授のパトリック・ハインリッヒ先生に「現在言語学の観点から見た岡正雄の先史時代の文化と言語層理論」と題してご発表いただいた。ハインリッヒ先生は、岡の学説は大きく見て、言語学の分野でもそのまま認められたことがなかったものの、考古学とは異なり、言語学の諸学説に最初から大きな刺激を与えてきたと指摘した。例えば大野晋の『日本語の起源』、あるいは20世紀後半を通じて日本国内外で論じられたいわゆる日本語の南方起源論対北方起源論(オーストロネシア語族対アルタイ語族)の論争はそのような例の一つである。しかし、現在の言語学ではそういった語族の研究や、言語の変化を時間軸だけで見るという方法論からは離れて、むしろ、言語接触およびそれによるクレオール語の発生などに研究が集中してきているので、岡の学説はそのような観点から見てもまだ興味深い面があるのではないかと締めくくった。
なお、両者の発表は3月の国際シンポジウム、または本年度の他の2回にわたる研究会で行われた「東京教育大学と民俗学研究」、「博物館とアイデンティティならびに沖縄研究」に関する発表とともに、『日本文化人類学の戦前・戦中・戦後—岡正雄をめぐる—』というタイトルの報告書にまとめ、東京堂出版から出版する予定である。
【報告者:ヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所兼担所員・国際戦略機構特別教授)】
パトリック ハインリッヒ 准教授(獨協大学)
会場の様子