ロアダ氏勉強会『近代国家の構築』(2012.3.13)

法政大学国際日本学研究所 文部科学省戦略的研究基盤形成支援事業

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の現在・過去・未来」 研究アプローチ(4) 〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」 第4回勉強会 報告記事

 第4回勉強会
                  近代国家の構築
 —アフリカの視点から、明治日本と現代アフリカとを、時代を跨いで比較する—

日  時 2012年3月13日(火)18:30〜20:30

会  場  法政大学市ヶ谷キャンパス
ボアソナードタワー25階B会議室

講  師  オーギュスタン・ロワダ
(ブルキナファッソ、ウァガドゥグ大学法学部 教授)
 

通  訳  安孫子 悠

司  会  安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授)

オーギュスタン・ロワダ教授

司会:安孫子 信 所長・教授

  去る3月13日(火)、18時30分から20時20分まで、法政大学市ヶ谷キャンパスのボアソナードタワー25階B会議室において、法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクト・アプローチ4の2011年度第4回勉強会が開催された。今回は、ブルキナファソのワガドゥグ大学法学部教授であるオーギュスタン・ロワダ氏を迎え、「近代国家の構築——アフリカの視点から、明治日本と現代アフリカとを、時代を跨いで比較する——」と題して行われた。
ロワダ氏は2月1日から3月15日まで国際交流基金の招きで来日し、法政大学国際日本学研究所の外国人客員研究員として日本での調査と研究に従事した。今回、ロワダ氏は40日間の日本滞在で得られた知見をもとに報告を行った。報告の概要は以下の通りである。

アフリカ諸国の多くは1960年代になって独立を果たし、近代化への発展を目指すことになった。しかしながら、経済的、社会的な発展という面では、大部分の国は近代化に成功したとはいえない。このとき、しばしば対比されるのが、第二次世界大戦後の日本を代表とするアジア諸国の経済的な成功である。ただし、日本を対照する場合、戦後の経済成長だけでなく、近代化への道を本格的に歩み始めた明治時代に焦点を当てて、日本とアフリカ諸国の近代化への取り組みの類似点や相違点を検討することは、意義のあることといえる。そこで、今回は、日本とアフリカ諸国を、(1)近代化を進める過程の文脈、(2)近代化の担い手が果たした役割、(3)近代化における制度が果たした役割、の3点から比較した。
まず、近代化を進める過程については、(a)社会的文脈、(b)経済的文脈、(c)歴史的文脈、(d)政治的文脈、を対象として検討した。その結果、次の点を示した。日本はマイノリティを内部に抱えていたものの、基本的には社会、言語、宗教、人的資源という点で同質的であった。一方、アフリカ諸国は、これらの点に関しては基本的に多様であるという特徴を持っていた。経済的文脈では、日本は明治時代以前にプロト工業化が進んでいたのに対し、アフリカ諸国はプロト工業化の段階に達していなかった。歴史的文脈については、日本は江戸時代を通して対外的な接触が少なく、西洋列強による植民地化も経験しなかったが、アフリカ諸国と西洋列強との関係は暴力に依存しており、アフリカ諸国は西洋列強によって徐々に国力の弱体化を余儀なくされた。政治的文脈に関しては、日本では、将軍を頂点とする武士階級による支配が確立されており、西洋列強の圧迫を受けたことで、支配者層が植民地化を避けるために西洋化する必要性を看取して「上からの改革」が進められたものの、アフリカ諸国の支配者層の多くは自らを民族として位置づけることができず、政治的な基盤も弱かったため、植民地化が容易に進んだ。
次に、近代化の担い手が果たした役割については、(a)エリート、(b)民衆、(c)民族アイデンティティ、の3項目を検討した。まず、エリートについては、日本では、エリートたちが進んで西洋を凌駕しようとし、その過程において徳川幕府の正統性を検討することになり、若い武士たちが西洋化の推進役となった。これに対し、植民地化以前のアフリカ諸国のエリートは、大部分がヨーロッパ諸国に対する劣等性を自覚せず、若者たちの動きも不活発であった。また、植民地化が進む際、エリートたちはヨーロッパ諸国に対抗するために近代化しようとはせず、ナショナリズムを高めようとした一部のエリートは、自国民からも植民地支配を行った国からも反発を受けたり、ナショナリズムを掲げながらも実際には自らの権益の拡大を目指したりしていた。民衆の役割については、日本では封建制の進展が権力による民衆の支配を正当化しており、アフリカ諸国では植民地化によって伝統的な支配制度が崩壊したことで権力による民衆の支配の正当性が確立されなかった。そして、民族アイデンティティについては、日本では調和と社会的な互恵を基礎とする価値観が近代化によって放棄されるのではなく、価値観そのものが近代化されることになったが、アフリカ諸国では、国家統合に関する主張は民族的な歴史と乖離しており、しかも支配者が自らの出身部族を優先しがちであり、近代化を阻害した。
近代化における制度が果たした役割については、(a)制度設計工学、(b)教育、(c)官僚制、を検討した。制度設計工学に関して、日本は、憲法はプロイセン、法律はフランス、海軍はイギリス、というように、制度に関する知識を一国から収集するのではなく、目的に合致し、対象となる分野で最も成功していると考えられた国から導入するという態度であった。これに対し、アフリカ諸国では一貫性のない制度が作られたり、地域的な特徴を考慮せずに旧宗主国の制度をそのまま引き継ぐということが一般的である。教育については、日本は、明治以前も歴史的に教育水準が高かったが、明治以降に高等教育の実施が加速化された。一方、アフリカ諸国ではいまだ教育が万人に普及してはいない。官僚制は、日本では能力主義が前提となり、政治任用の余地が少ないことで、官僚組織の統一性を確保することができた。しかしながら、アフリカ諸国では、有力な政治家が行政を私物化することが珍しくなく、政治の行政化、行政の政治化が日常的であるため、官僚機構が政治から自立できないでいる。
以上のような検討から、日本が近代化を達成したのは決して奇跡の所産ではなく、狭隘な国土、過剰な人口、天然資源の欠乏といった、一見すると近代化を阻害するような要因に対して果敢に挑戦し、あるいはそのような要因を巧みに利用したことによって達成されたというべきである。日本に比べ、国土が広く、人口も過密ではなく、天然資源に恵まれたアフリカ諸国の多くは、民族的、言語的、社会的な多様性を近代化の原動力にできず、むしろ集団の統一化が阻まれている。アフリカ諸国は、マックス・ウェーバー的な意味での官僚制の構築、能力主義の徹底、教育の民衆化、という点を日本から学び、近代化を推進する必要があるといえるだろう。

「多様性を保持しつついかに統一的な手法を用いて発展するか」というアフリカ諸国が抱える課題を解決するために明治時代の日本を参考として分析する試みは、実践的な日本研究であるばかりでなく、日本研究を通した日本とアフリカ諸国の相互交流の可能性を含んでおり、有益であるといえよう。

【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】

 

左:通訳 安孫子 悠 氏 右:ロワダ教授

会場の様子

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