三菱財団共催 岡シンポジウム(2012.3.10-11)

法政大学国際日本学研究所「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクト アプローチ(2) 「近代の<日本意識>の成立」
公益財団法人三菱財団研究助成 「日本民族学形成における岡正雄」
国際シンポジウム『岡正雄−日本民族学の草分け』 開催報告

 国際シンポジウム
『岡正雄−日本民族学の草分け』 開催報告

 

日 時  2012年3月10日(土)-11日(日)

会 場  法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー26階スカイホール

司 会  ヨーゼフ・クライナー教授 
(法政大学国際日本学研究所兼担所員・国際戦略機構特別教授)

  

         司会:ヨーゼフ・クライナー特別教授

                    クリストフ・アントワイラー教授 (ボン大学)

 法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ2「近代の<日本意識の成立>」および公益財団法人三菱財団研究助成「日本民族学形成における岡正雄」では、2012年3月10日(土曜日)・11日(日曜日)の二日間にわたって国際シンポジウム「岡正雄─日本民族学の草分け」を法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー26階スカイホールで開催した。ドイツから3名、オーストリアから2名、法政大学はじめ日本国内の10名の研究者の発表があり、国内外から200名程の参加者があった。
岡正雄(1898−1982)は日本の民族学の設立の親である。旧制松本中学校(長野県松本深志高等学校)から旧制第二高等学校を経て東京帝国大学文学部社会学科を卒業した後、柳田國男の談話会に1926(大正15)年から参加し、柳田とふたりで雑誌『民族』を編集・出版した。岡は、折口信夫の「まれびと」論に刺激され、論文「異人その他」(1928[昭和3]年)で初めて注目を浴びた。談話会が分裂した後、澁澤敬三の奨学金で1929(昭和4)年にウィーンに渡り、ウィーン歴史民族学派のW. シュミット、W.コッパス、R.ハイネ・ゲルデルンに師事。1933(昭和8)年、Kulturschichten in Alt-Japan(「古日本の文化層」)で博士号を取得し、1935(昭和10)年までにその原稿を全6巻、1500頁にまとめた。「日本文化はいくつかの異なった文化複合からなる、多元的起源を持つ文化だ」と主張する「幻の論文」と呼ばれた大著が、このたび初めてドイツ語の原文で出版される。このシンポジウムは、これを記念するもので、岡の学問及び日本における民族学の展開とヨーロッパの日本研究の改革に与えた影響の総括的評価を試みた。
シンポジウムの一日目は、まず、岡正雄の生涯を通じての業績を包括的に分析するとともに、その研究が日本の文化人類学やヨーロッパの日本研究に及ぼした影響について、三つの報告(ヨーゼフ・クライナー・清水昭俊先生・川田順造先生)があった。
次に、海外からみた岡の業績と日本の民族学の国際舞台における位置を取り上げた三つの報告(クリストフ・アントワイラー先生、ハンス・ディータ・オイルシュレーガー先生、桑山敬己先生)が続いた。岡は、欧米以外の研究者として初めての国際人類学・民族学協会の会長に選ばれ、1968(昭和43)年に初めてアジアで大会を開催することに成功した。
二日目は、個別研究について、まず神話研究についての二つの報告(平藤喜久子先生、クラウス・アントニ先生)、日本における民族博物館の形成と岡の尽力についての報告(近藤雅樹先生)があった。歴史的な岡の役割を取り上げた報告が二つ(中生勝美先生、セップ・リンハルト先生)と、岡の研究の方法論と歴史民族学ないし社会人類学についての報告が二つ(ベルハルド・シャイト先生、住谷一彦先生)、最後に岡の北方研究すなわちアイヌとアラスカについての報告(岡田淳子先生、祖父江孝男先生)があった。祖父江先生と住谷先生は、当初は岡の助手として、そして後に協力者として活動してきたことを通じての、岡の個人的な側面にも触れたお話があった。最後に、岡の長男である岡千曲先生が父としての岡のことをお話下さり、シンポジウムを締めくくった。
討論の成果として、岡の学問は、およそ次の何点かの主だったテーマにわけることができる。それは、第一に折口から継承した来訪神信仰及び村のレベルで行う仮面仮装行事、第二にそれを日本以外、特にヨーロッパの現象と比較する試み、もう一つは、日本の基層文化における社会組織、特に年齢階梯制と若者組の役割、更にアイヌ研究が日本の民族・文化の起源に一つの役割を果たした北方文化の影響であった。それを統合したかたちで多元的な日本文化の起源論を提唱し、1948(昭和23)年には江上波夫、八幡一郎、石田英一郎が参加した学際的なシンポジウムを開催し、討論した。このシンポジウムは、20世紀後半の日本の民族学・文化人類学の出発点になったといえ、江上波夫、坪井洋文、佐々木高明、井上光貞、大野晋などの研究者はそこから刺激を受け、持論を発展させたのであった。
岡の組織力も非常に大きなものであった。1938(昭和13)年にウィーン大学に設立し、指導した日本学研究所において社会科学的なアプローチをとった日本研究は、アメリカ、あるいはイギリスの日本研究のパラダイムの変化より10年も早いもので、現在もその伝統を受け継いでいる研究者が大勢いる。日本で戦時中、文部省の民族研究所を指導し、大勢の日本の民族学者・文化人類学者を育成した。また、1951(昭和26)年に東京都立大学の社会人類学科、1960(昭和35)年に明治大学、1964(昭和39)年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所を設置した。それぞれの立場から、研究史に大きな影響を与えた現地調査を実施した。そのなかの重要なものだけを挙げると、明治大学のアラスカ調査、アジアの研究者が初めてヨーロッパの基層文化を研究対象とした明治大学の中部ヨーロッパのドイツ語圏村落調査がある。
ちなみに、岡が1935(昭和10)年にヨーロッパから帰国して最初に民族学について講義を行ったのは法政大学であった。

【報告者:ヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所兼担所員・国際戦略機構特別教授)】

 

 祖父江 孝男 名誉教授(国立民族学博物館)

 

 清水 昭俊 名誉教授 (国立民族学博物館)

 

 川田 順造 特別招聘教授 (神奈川大学)

 

 ベルハルド・シャイト 主任研究員 (オーストリア学士院)

関係者による集合写真