アロカイ氏勉強会『20世紀前半ドイツにおける日本文学と日本神話の受容について』(2011.12.19)
法政大学国際日本学研究所 文部科学省戦略的研究基盤形成支援事業
「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の現在・過去・未来」 研究アプローチ(4)
〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」 第3回勉強会 報告記事 第3回勉強会
『20世紀前半ドイツにおける日本文学と日本神話の受容について』
日 時 2011年12月19日(月)18:30〜20:30
会 場 法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階 国際日本学研究所セミナー室
講 師 ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学日本語学科 教授)
司 会 安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授)
ユディット・アロカイ教授 |
去る2011年12月19日(月)、法政大学国際日本学研究所セミナー室において、「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」アプローチ(4)「〈日本意識〉の三角測量—未来へ」の第3回勉強会が開催された。今回は、ハイデルベルク大学教授のユディット・アロカイ氏を迎え、「20世紀前半ドイツにおける日本文学と日本神話の受容について」と題して行われた。講演会の概要は以下の通りであった。
ドイツ語圏における日本文学の本格的な受容は、1847年にオーストリア人のアウグスト・プフィッツマイヤー(August Pfizmaier)が柳亭種彦の『浮世形六枚屏風』を翻訳したことに始まる。柳亭種彦の作品としては決して著名ではない『浮世形六枚屏風』が翻訳されたのは、プフィッツマイヤーがウィーン宮廷図書館に所蔵されていた数冊の日本語の文献の中の一冊を選んだことによる、という興味深い背景はあるものの、専門誌に発表されたため、この翻訳が社会的な話題になることはなかった。
19世紀末からは、日本語の作品から直接翻訳するのではなく、英語からの重訳によって日本文学を紹介する、という方法が一般的となった。その際、作品そのものが普遍性を有するとともに、エキゾチシズムに満ちた観点から眺めても読者を満足させる作品、あるいは「日本らしさ」を象徴する文学作品として、『源氏物語』がしばしばドイツ語に翻訳された。例えば、1899年には、フランツ・ブライ(Franz Blei)がDer japanishe Theegarten(日本の茶園)の中で、ウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston)の英語の文献の資料に基づいて自伝風に日本を紹介するとともに、岡崎遠光がGeschichte der japanischen Nationallitteratur: Von den altesten Zeiten bis zur Gegenwart(日本の国民文学の歴史:最古の資料から現在まで)を執筆し、日本文学史を概観した。1906年にはカール・フローレンツ(Karl Florenz)が『源氏物語』の部分訳を行い、1911年には、マクシミリアン・ミュラー=ヤブシュ(Maximilian Muller-Jabusch)が、末松謙澄が1882年にロンドンで出版した『源氏物語』の部分訳に基づき、Die Abenteuer des Prinzen Genji: Ein altjapanischer Roman(源氏の君の冒険:昔の日本の小説)と題する翻訳を出版した。この中でミューラー=ヤブシュは当時の日常的で平易なドイツ語を用い、官職や衣服などは日本語をそのままアルファベットで表記して詳細を注釈の中で説明するという方法を採り、和歌は散文体で内容を重視して翻訳し、適宜主語や動作の対象などを補うことで文意を明瞭にする訳出を行った。さらに、1937年には、ヘルベルト・エゴン・ヘルリチュカ(Herberth Egon Herlitschka)が、アーサー・ウェイリー(Arthur Waley)の1935年の翻訳をもとに、『源氏物語』の「桐壺」から「幻」までをドイツ語に訳して出版した。ヘルリチュカの翻訳はウェイリーの独創的な翻訳に基づいているため、話の筋は『源氏物語』そのものから逸脱しがちであるが、1995年には第4版が発行されるなど、現在、ドイツ語圏で最も流通している『源氏物語』の翻訳となっている。第二次世界大戦後には、1947年にワルター・ドナート(Walte Donat)がDas junge Veilchen(若いすみれ)と題して『源氏物語』の「若紫」を原文から全訳し、1966年にはオスカー・ベンル(Oscar Benl)がドイツ語圏で最初となる『源氏物語』の全訳Die Geschichte vom Prinzen Genji(源氏の君の歴史)を刊行した。しかし、ヘルリチュカに比べると、読者への影響力は限定的である。
次に、日本文学史の受容を概観すると、岡崎のGeschichte der japanischen Nationallitteratur: Von den altesten Zeiten bis zur Gegenwartは、スサノオノミコトが詠んだとされる日本で最初の和歌から19世紀までの文学史を約150ページで解説した、簡便で表層的な書物といえる。一方、東京帝国大学で教鞭をとった経験もあるフローレンツのGeschichte der japanishe Litteratur(日本文学の歴史)は、芳賀矢一や藤岡作太郎らの日本文学史関連の書物を参照して執筆された、650ページにわたる著作で、日本文学史上の主要な作品の要約や抄訳があり、『源氏物語』を社会、文化、女性史などの観点から分析するなど、ドイツ語圏で最初の本格的な書日本文学史の概説書である。フローレンツは『伊勢物語』から『源氏物語』への移行を「草庵から宮廷に移った感じ」と評価し、漢語による造語が氾濫した明治時代の「言葉の乱れ」に対する嘆きと反感という自らの考えを投影し、『源氏物語』の言葉に対して「柔軟で想像力に富む言葉」と好意的な態度を示している。ただし、作家と作品に現れる道徳観を重視するフローレンツにとって『源氏物語』は「教訓性が全くない作品」であり、文学的な価値よりも、当時の社会の状況や宮廷の様子を描写した点に意義があるものだった。フローレンツのGeschichte der japanishe Litteraturは1920年代までドイツ語圏における日本文学史関連書籍の最も重要な一冊であったため、「世界文学の重要な作品であり、社会史的には意味があるものの道徳的価値に欠ける」という『源氏物語』への評価も比較的影響力を持っていた。これに対し、ウィルヘム・グンダート(Wilhelm Gundert)は、1926年に『万葉集』から江戸時代の文学までを網羅するDie japanische Literatur(日本の文学)を著した。この中でグンダートはフローレンツと同じく文学史の解説と主要な作品の解釈や翻訳を行ったが、道徳よりも作品の構造を重視し、『源氏物語』についても、「場面の描写には優れているが登場人物の精神性を描き切れていないという欠点がある」と評価し、日本文学史やヨーロッパ文学に親しんだ戦前のドイツ語圏の読者に、「人間そのものではなく、人間と自然の調和を表現しているのが日本の文学だ」という印象を与えることになった。
さて、日本神話の受容に焦点を当てると、文学とは異なり最初から学問的な観点から導入され、記紀神話や各種の宗教説話などが翻訳された。フローレンツは1892年から1897年にかけてNihongi. Japanische Annalen(日本紀:日本の年代記)と題して『日本書紀』を翻訳し、1919年にもDie historischen Quellen der Shinto-Religion(日本の神道の歴史的淵源)を著すなど、多くの翻訳と詳細な分析によって、文献学的な観点からの研究というドイツ語圏における日本神話研究の基礎を確立した。しかし、1920年代になると、賀茂真淵や会沢正志斎らの国粋主義的な神道が研究の対象となり、ホルスト・ハミッチ(Horst Hammitzsch)やハインリッヒ・デュムレン(Heinrich Dumoulin)が1930年代から1940年代にかけて相次いで日本の神道や国学に関する研究成果を公表した。
ドイツの日本研究は政治の動向に強く影響されるという特徴を持っており、1936年にグンダートがハンブルク大学教授に就任する際に行った演説では、「日本の研究は個人の趣味ではなく、国家と国民のために役立つように行われなければならない。日本国民の力はアジアに広く及んでおり、その原動力は天皇であるのだから、日本研究の課題は、日本の原動力としての天皇制の研究とならなければならない。そして、日本民族の成長の秘密を発見し、天皇制の仕組みを明らかにすることが必要であり、そうしてこそ日本はドイツの手本となる」という主旨の発言を残している。この演説は、ナチスと日本研究の関連や国学研究の流行とドイツの民族主義的な傾向との関連を考える上で重要な課題を含んでいるが、「日本研究がドイツ国民に役立つ」という観点が初めて明確に示されたという意味でも、画期をなすものであった。しかしながら、戦後になると神道研究の代わりに仏教研究が主流となり、近代や現代の文学の翻訳が多くなったほか、1970年代以降日本語学科が各地の大学に設けられるようになるなど、政治的な側面から離れた研究がなされている。
以上のようなアロカイ氏の報告によって、ドイツ語圏における日本文学と日本神話の受容の過程が詳細に示されるとともに、英語からの重訳によって『源氏物語』や他の作品が紹介されたことや、文学の場合は道徳性が重視され、神話の場合は文献学的な手法が用いられたことなど、分野や時代による特徴がいかなるものであったかが説明された。ドイツ語圏という一つの集団における日本の文学と神話の受容を通して、受容する側の興味や関心の所在、さらには日本に対する理解のあり方を示した点に今回の報告の意義が存するといえるだろう。
【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】
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