第7回研究会(2011.12.17)

法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第7回研究会「日本」と「義理」 開催報告

アプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第7回研究会 「日本」と「義理」


報 告  李 知蓮 (法政大学国際日本学研究所 学術研究員)

日 時  2011年12月17日(土) 15:30 – 17:30

会 場  法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階 国際日本学研究所セミナー室

司 会  田中 優子 (法政大学社会学部 教授)

李 知蓮 氏

司会 田中 優子 教授

出席者の様子

第7回研究会「日本」と「義理」

日本における「義理」の研究史は近代以降に始まり、今日に至る。
前近代の「義理」は、詳しく調べたり、深い考察を進めたりして明らかにすべき謎ではなかった。それは「挨拶」や「お世話」のように、人々がともに生き、支えあうところに発生する倫理観念の一つだった。身分社会だっただけに、一種の階層化された観念ではあったが、それを当たり前の感覚で生きていた人々からすると、改めて解明すべき謎ではなかったのだ。それなのに、近代になってから「義理」が、「研究され」始める。
たくさんのものが近代化の波にさらわれていく中、「義理」は生き残った。大きな戦争を通過した後でもそうだったし、高度経済成長やバブル崩壊の後の経済戦争の時代にも死語とはならず、残っている。「義理」の研究史は記述のように近代化以降の戦前から始まるが、それらの先行研究は果たして、しっかりと時代の流れに追いつき、たくさんの資料でもって、生身の人々の生活に密着した視点から実証的に論じられてきただろうか。
もちろん多様な解釈があり得る。が、今回の研究会を通じて考えたかったのは、「義理」に関するこれまでの先行研究が設定してきた「日本」という枠のことである。「西洋」の倫理観念と相対するものとしての「日本」と、その対比から生まれてくる「特殊」なものとしての「義理」といった構図は、多くの先行研究において疑われてこなかった。そこには、韓国や中国といった北東アジアの国々の「義理」との国際比較という視点が欠如しているし、研究対象の中心であるはずの「日本人」の定義も抜けていた。「義理」と「日本人」と「特殊」という要素がつくった枠の中で、「地方」と「日本と呼ばれる地に住んでいる生身の人々」の実際像が、得体の知れぬ誇りや嫌悪とともに交錯していたように見える。
そういうわけで報告者は、アジアの国々との国際比較、研究対象や資料の実体化といった、既存の研究では十分に考慮されてこなかった要素を補うことを、今回の研究会での主題に決めた。そのために、韓国語の「うぃり(義理)」との意味比較、各種の書籍文献やソーシャルネットワークで実際に語られた「義理」の用例や、アニメーション『サマーウォーズ』にあらわれた「義理」の姿を分析した。その過程で、ルース・ベネディクトの『菊と刀』や新渡戸稲造の『武士道』の背景にある「アメリカ」という要素が浮上したし、それと国家象徴としての「日本」と対比される、地域社会の生身の人々としての「日本人」、それらが混交してきた日本社会のあり方についても様々な観点からの議論ができた。
今回の研究会での報告者の主張の中心には、前近代の政治的支配階層だった武士たちの倫理としての「義理」や、近松や西鶴などによる伝統的な芸術作品にあらわれた、一種のドラマティックな筋合いを裏付ける「義理」のみでは盛りきれない、互いが互いを「保護」するための庶民的倫理意識としての「義理」の存在があった。たとえば「香典返し」はその代表的な例であるし、いわゆる大衆文化で描かれる「義理」の物語にはそのようなモチーフのものも多い。「またたびもの」で有名な長谷川伸の作品もその一つで、彼の作品にあらわれている「義理」の情緒を批評することは決して簡単ではない。
3・11大震災以降は改めてそのような、地域社会を基盤とする普段からの相互協力の重要さが再認識された。そして長い間、日本の人々が生きてきた現場、その共同体意識の底辺には「義理」の観念が働いてきたが、以上のような意味でそれは十分には検証されて来なかった。より細分した、より具体的な実例を根拠にした研究が、まさにこれから必要となろう。今後はその課題に向かって、国際日本学的なアプローチの方法でもって、さらなる研究成果を報告していきたい。

 

【記事執筆:李 知蓮(法政大学国際日本学研究所学術研究員)】