第9回東アジア文化研究会(2011.12.7)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」
2011年度 第9回東アジア文化研究会

中国学界における日本文化観


  • 報告者: 姜 克實 (岡山大学大学院社会文化科学研究科教授)
  • 日 時: 2011年12月7日(水)18時00分〜20時00分
  • 場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階 国際日本学研究所セミナー室
  • 司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所 教授)

左から 王 敏 教授、姜 克實 教授

会場の様子

中国学界における日本文化観

南開大学日本研究院が出版した『日本現代化歴程叢書』(楊棟梁他主編、全十巻、北京:世界知識出版社、2010)の中に、『日本近現代文化史』と題した一冊がある。同研究院教授趙徳宇教授と若手の大学院生三人によって執筆された、スケールの大きい著作である。江戸から現在までの四百年を論の対象に据えただけでなく、「文化」というすそ野の広いタイトルを覆うべく、内容も教育、思想、文学、芸術、宗教、社会など多岐にわたって展開する。日本学界の常識からいえば、若手数人によるこのような試みは、身の程を知らぬ軽挙に映るかもしれないが、一方、ヤマトのしがらみに束縛されない、大胆かつ自由奔放な、隣人の目線であるがゆえに、新鮮な感覚と異文化の刺激が至るところから感じとられる。

まず挙げられる特徴は、日本の近世と近・現代の歴史を、「文化」を媒介に連続的・構造的に捉えている手法である。日本の学界で掟となっている時代の区切すら突破し、あたかも「明治維新」という時代のゲートが存在しないかのようである。著者の意図は江戸文化の、日本近代に及ぼした影響の強調にあり、近世の洋学、儒学、国学と大衆文化から、日本近代文化の三つの要素——1.庶民的文化、教養の素地、2.西洋文化をはじめとする多元文化への親和性、3.国学からみる日本文化民族主義の魂——を抉り出している。著者の目には、江戸の蘭学こそ日本近代開国への踏み台であり、逆に保守の国学は、近代以降の「極端な民族主義の根源」(61頁)と映る。

第二の特徴は、文化現象によって歴史の流れを解釈しようとする試みである。文明は物質(才)で、文化は精神(魂)である。「魂」たる文化は先にあり、「材」たる文明は後に現れる、という本書の位置づけから、こうした意欲が感じ取られる。

近代の日本は、アジア侵略の道をたどっていくが、著者はその原因を、文化の諸現象——江戸時代の国学、水戸学、幕末の「王政復古」、近代の天皇制、「国粋主義」の思想・教育——にあると指摘する。とくに「国家神道と武士道の結託」は、近代日本の悲劇を生みだした根本的原因だと著者は見る(112頁)。このような視点から生まれたのは、本書が繰り返して強調した「文明と文化の悖論(パラドックス)」、あるいは「跛行の明治文化」説である。すなわち、近代の日本国家は、近代化、文明化(洋才)の道を目指す一方、その魂に据えた文化は、天皇制、国粋といった和魂である。そのため、文明は逆の方向に向かい、極端な民族主義、国家主義の近代、侵略拡張の近代が生み出された、という。

やや問題を感じた点も二つを挙げよう。まず指摘したいのは、やはり「文化」と「文明」の位置関係である。文化という(魂)が文明(才)の先にある論は、唯心論式の解釈法であるだけではなく、それに依拠する、文化による近代文明解釈の試みも、方法的には新鮮ではあるが、本末転倒の歴史解釈に陥りやすいのではないかと評者は杞憂する。明治維新は、著者のいう、江戸時代の内在的文化の薀蓄にもたらした必然な結果なのか、それとも、内憂外患の客観的な政治情勢に促された歴史の変革なのか。日本の帝国主義侵略は、内在的天皇制、武士道、国粋主義がもたらした結果なのか、それとも、弱肉強食の国際情勢、および「領土狭小、資源貧乏、人口過剰」という「持たざる国」の危機感から生まれた、国家の必然な選択なのか。著者にしてもう一度慎重に考えてみる必要があるように感じる。

もし、日本近代の誤りのすべてを、「天皇制」、「共同体社会」、「神道、武士道」などの文化要素に帰してしまうと、日本は結局「天性の侵略民族」だ、という幼稚で悪意ある日本文化否定論になるのではないか。

第二点は、論の全体がきわめて構造的で、理論の展開が明快な反面、歴史の解釈には平板的で、一枚岩式の短絡さが見られる。各時代の、さまざまな歴史環境の変化、対抗する各種勢力の消長など、ダイナミックに展開する歴史の躍動、社会の息吹があまり感じられぬ。日本文化の連続性を強調するあまり、史的大変革を象徴する明治維新の意義が疎かにされ、また、明治初年の文明開化政策への反動を表す「明治20代」の概念や、戦後、日本民族文化再生の転回点となる「独立」の概念、文化的拮抗をも表す「逆コース」の概念も導入されていない。また、「公議政体」を近代思想、逆に同時期の「王政復古」を「歴史の後退」と簡単に片づけたり、明治文化の否定と大正文化の礼賛というような、非構造的な対極法も見られたりする。

多少の問題点があるにせよ、本書は決して安易なる日本文化論の受け売りではなく、長い時間をかけ、膨大な研究文献を調べ、咀嚼したすえの労作であり、若い外国人研究者による日本文化論へのチャレンジといえる。さらなる研鑽と研究を重ねて、次第に閉塞化に向かう日本国内の学問界に、外からの新風を吹き込む役割を期待してやまない。

【記事執筆:姜 克實(岡山大学大学院社会文化学科研究科教授)】