第6回研究会(2011.10.15)

法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第6回研究会『映画の中の日本』 開催報告

アプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第6回研究会 『映画の中の日本』


報告  マートライ ティタニラ (早稲田大学演劇博物館研究員)

日 時  2011年10月15日(土) 14:00 – 17:30

会 場  法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎1階遠隔講義室

司 会  鈴村 裕輔 (法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)

マートライ ティタニラ氏

質疑応答の様子(司会:鈴村裕輔氏)

アプローチリーダー:田中優子教授

会場の様子

 第6回研究会『映画の中の日本』

去る10月15日(土)、法政大学富士見校舎1階遠隔講義室において、「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」アプローチ(1) 「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」の第6回研究会が開催された。今回は、早稲田大学演劇博物館研究員のマートライ・ティタニラ氏を迎え、「映画の中の日本」と題し、映画上映、講演と質疑応答の2部に分けて行われた。
まず、映画上映では、新藤兼人の監督作品『藪の中の黒猫』(1968年)が上映された。『藪の中の黒猫』のあらすじは次のとおりである。

平安時代中頃、都では武士が何者かに惨殺される事件が起きていた。武勇を兼ね備えた侍である藪の銀時(中村吉右衛門)は、主人の源頼光(佐藤慶)の命により、犯人を捕らえようとする。竹藪の中の屋敷に辿りついた銀時が目にしたのは、3年前に分かれたまま行方の分からなかった母ヨネ(乙羽信子)と妻シゲ(太地喜和子)であった。実は、二人は3年前に落ち武者の襲撃にあって落命したのだが、天地の魔人に願を掛けて黒猫の物怪として蘇り、この世の侍の生血をすすり続けていたのであった。しかし、シゲは願を破って侍である銀時の生血をすすらず、銀時との再会から8日後に地獄に落ちた。一方、地獄に落ちるよりも侍の生血を吸うことを選んだヨネは銀時に左腕を切り落とされてしまう。黒猫の物怪を討ち取ったことを評価した頼光は、銀時に7日間の斎戒沐浴を命令する。そして、7日間の物忌みが明けようとする直前、ヨネが再び現れ、激しい戦いの末に切り落とされた左腕を取り戻す。7日間の斎戒沐浴を行うという誓いを果たせなかった銀時は精神に異常を来たして彷徨した後、竹藪の外れにあり、3年前に襲撃を受けた自分の家の焼跡の上で絶命するのであった。

第2部では、上記のような『藪の中の黒猫』について、映画と演劇、『藪の中の黒猫』における文学的・演劇的・映画的な要素の受容、新藤兼人の独自性といった点について分析が行われ、以下の点が明らかにされた。
まず、『藪の中の黒猫』における文学的な要素の受容としては、『今昔物語』(羅城門が舞台となる)、『平家物語』「剣巻」(渡辺綱が鬼の腕を切る)、『太平記』(頼光が牛鬼の頸を切り落とす)、『御伽草子』(渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が腕を取り返す)、『大江山絵詞』(頼光が大江山の酒呑童子を退治する)といった文学作品ばかりでなく、羅生門の鬼と渡辺綱の戦いを描く能<羅生門>や、<羅生門>の後日譚であり、茨木童子という鬼が渡辺綱に切り落とされた腕を取り戻す筋立ての歌舞伎『茨木』などの内容も広く取り入れられていることが示された。
演劇的な要素の受容としては、主演の中村吉右衛門が歌舞伎俳優、ミカド役の観世栄夫が能役者である、といった表面的な要素以外にも、新藤兼人が積極的に演劇的な手法を採用していることが確認された。例えば、照明に関しては、スポットライトの使用により対象を際立たせる手法や、照明の明暗により場面の転換を示すといった、舞台における照明の利用法が積極的に用いられていることが指摘された。また、侍の生血を吸うための場所としてヨネとシゲとが作りだした屋敷の造りが能舞台と同じ構造であること、また、屋敷へと向かう道や、屋敷の中で寝所へと続く廊下も、能舞台における橋掛りと同じ機能を持つことが示された。この他、ヨネが黒猫の物怪の正体を見せる場面で歌舞伎の般若隈が用いられたり、宙乗りや宙返りといった軽業が用いられることなども、歌舞伎の技法が応用されている代表的な事例といえるとされた。
そして、映画的な要素の受容としては、『藪の中の黒猫』が、『怪猫岡崎騒動』(1954年)や『秘録怪猫伝』(1969年)といった、歌舞伎や古典文学に由来する「化け猫映画」の系列に連なることが確認された。
一方、このような様々な分野の要素の受容を踏まえた上で、新藤兼人の独自性が何に求められるか、という点については、以下のような指摘があった。まず、映画の題名は、話の舞台に焦点を当てれば『羅生門』であり、鬼が腕を取り戻すという結末を重視すれば『茨木』となるのが当然である。しかし、『羅生門』では1950年の黒澤明の映画と同じになるし、『茨木』では作中に茨木童子が出てこないため適切ではない。そこで、新藤は「ミステリアスな様子」や「黒猫の怪奇さ」を暗示する「藪の中」という言葉を選んだと思われる。しかも、「藪の中」という言葉によって、映画の観客は芥川龍之介の短編小説『藪の中』から黒澤の映画『羅生門』が生れたという経緯を連想することが可能である。従って、新藤は言外に「藪の中」という言葉が映画の分野で持つ意味を巧みに利用したと言える。
また、源頼光の四天王である坂田金時を模倣する形で銀時という主人公を造形したことや、銀時の「頼光の命令に従えば母と妻を殺し、従わなければ自分が殺される」という立場とヨネとシゲの「侍の生血を吸わなければ地獄に落ちるが、地獄に落ちないためには侍である息子や夫の生血を吸わなければならない」という状況は、古典文学や「化け猫映画」に義理と人情の葛藤という問題を加味し、『藪の中の黒猫』に新しい魅力を与えることになった、と指摘された。

今回の講演によって、『藪の中の黒猫』という映画が、古典文学、演劇、あるいは映画から様々な要素を幅広く摂取しており、そこに新藤兼人の独自性が加えられることで成り立っていることが明らかにされた。マートライ氏の取り組みは、「日本的な題材を映画化した」という誰にでも容易に分かる表面の下に、重層的で多様な要素が織り込まれているということを実証的に示すものであった。このような手法は、過去の映画ばかりでなく、「題材や表現が日本的」とされる現在の映画の分析に応用することで、映画という映像芸術を通した日本意識の解明にも寄与するものと思われる。その意味において、マートライ氏の講演は、示唆に富む内容であったと言えるであろう。

【報告者:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】