国際シンポジウム『日本の国家アイデンティティの形成と‘土着性’の問題』(2011.10.2)

法政大学国際日本学研究所「国際日本学の方法に基づく
〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」 研究アプローチ(4)
〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」2011年 国際シンポジウム
『日本の国家アイデンティティの形成と‘土着性’の問題』 開催報告


 

・日 時  2011年10月2日(日)

・会 場 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー26階スカイホール

・司 会 安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長、教授)

司会:安孫子 信 所長(教授)

会場の様子

マルセル・デチエンヌ教授
(ジョンズ・ホプキンス大学)

ヨーゼフ・クライナー教授

 

 

『日本の国家アイデンティティの形成と‘土着性’の問題』

*このシンポジウムは「アジア・フランコフォン大学」(9月29日—10月1日:日仏会館)への協賛企画でフランス大使館との共催で,またパリINALCO,中央大学からの協力を得て開催された。

文字通りに「その地に生まれた」を意味する「土着性(オートクトニー)」という語はギリシャ思想の鍵概念であり,後年にフランス語の中にも導入されていくが,マルセル・デチエンヌの分析によれば,この語こそが西洋における「国家アイデンティティ」構築の基礎となったものである。この土着性の概念は,日本の国家アイデンティティを考える際にも有効であろうか。この問いかけを軸に,シンポジウムでは,比較の観点から,デチエンヌが明らかにしてきた国家アイデンティティ形成のメカニズムと,日本での各時代でのアイデンティティ形成の実際との重ね合わせが試みられた。
当日の報告者は,発表順に,マルセル・デチエンヌ(ジョンズ・ホプキンス大学),ヨーゼフ・クライナー(法政大学),アラン・ロシェ(EPHE国立高等研究院),渡辺浩(法政大学),フランソワ・マセ(INALCO国立東洋文化研究所),星野勉(法政大学)の6氏で司会は安孫子信(法政大学)が務めた。
まずデチエンヌ報告「国家アイデンティティの形成と土着性の変遷」では,古代ギリシャのアテネで生まれた土着性概念が,イデオロギーとして自国民の純粋性を称揚し他国民の雑種性を蔑む政治的意味合いを有しており,戦死者を弔い自国史を語る擬制によってその後も世界各所で養分を与えられ続けていった過程が示された。
続くクライナー報告「日本民族・文化の多様性」では,日本の民族的・文化的土着性が文化人類学的視点から批判的に吟味され,それが決して純粋一途なものではなく,日本で土着のものとして言えば,二民族(大和民族,アイヌ民族),三文化(日本本土文化,沖縄文化,アイヌ文化)を数えうることが示された。
またロシェ報告「日本神話における天の主権と土着者たち」では,古事記や日本書紀が国家の起源を扱う神話部分で,国家発祥の地である大和は神武天皇によって土着民から勝ち取られたものであると明記されていることから,日本の国家アイデンティティの核に土着性は持ち出されえないこと,しかし土着民は階層化されて,主権がその地で確立され正当化されていく中で,主権のいわば引き立て役としてさまざまに取り入れられていったことが示された。
さらに,渡辺報告「この「国」の起源—本居宣長の思想とその影響」では,明治天皇制国家に結実していく国家アイデンティティ思想が,土着性に根付くということを超えて,国土自身を生みだした神々の子孫が今も天皇として統治し,当初からの臣民の子孫が今でも臣民として服しているという,独自の歴史観に基づくものであることが示される一方で,このような思想が,江戸時代,儒教を介しての当時の中国中心主義への反発から本居宣長によって構想されたものであり,それが明治期に,今度は西洋社会におけるキリスト教に代わるべきものとして伊藤博文によって採用されたという,外発的な形成物であることも指摘された。
さらに,マセ報告「山鹿素行『中朝事実』における中華思想の乗り越え」では,江戸時代,中国儒教による日本社会の支配への反発から,本居に先だって,山鹿素行がまず,儒教思想が生まれたのは中国ではなく日本であり,皇統の最初期にすでに徳治が実現されていたと主張したこと,しかし,その主張では,中国儒教の徳治はモデルとして維持されており,しかも政治の実権からは天皇が全く遠ざけられた中でそれが主張されたという矛盾が生じていることが指摘された。
最後に,星野報告「和辻の日本古代文化論における倫理意識の原型」では,和辻が,日本文化が周辺文化として大陸中国からの文化移入に依存しつつも,それを独自に開花させていった力を優れた内在力とみなして評価したこと,その内在力の核にあるものを清明心として認め,それは天皇を崇拝する心と重なるものであると主張したことを紹介しつつ,それへは,清明心と天皇制との結びつきを律令制当初からのものではなく天皇が政治的実権を失っていった中世以降のことに過ぎないと主張する批判があることも,同時に指摘された。
こうして,デチエンヌのモデルを念頭に置きつつ,日本のアイデンティティの主張の内実が,古代(ロシェ),江戸時代(マセ,渡辺),明治(星野),現代(クライナー)のそれぞれで検討された。結果として,アイデンティティを言うために純粋な土着性をそれとして称揚するものは見当たらなかったと言い得よう。ただし,それらが大方どれも,天皇,天皇制を軸にして,何らかの永続性の主張を含むものであったことは確かである。しかも,どれも,外国との対抗を陰に陽に前提にしたものであった。そうであるから尚更,現代,文化人類学の立場からのクライナー報告が,ある意味で土着性を言いつつ,天皇制も外国も持ち出さずにアイデンティティを論じ得ていたことが注目されたのである。

【報告者:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長、教授)】

 

アラン・ロシェ教授(EPHE)

渡辺 浩 教授

フランソワ・マセ教授(INALCO)

星野 勉教授

質疑応答の様子
(クライナー教授)

質疑応答の様子
(川田順造教授 神奈川大学)

パネルディスカッションの様子