第5回研究会(2011.6.25)

法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第5回研究会『曲亭馬琴と日本意識』 開催報告

アプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
第5回研究会 『曲亭馬琴と日本意識』

日 時  2011年6月25日(土)15:30〜17:30

会 場  法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階 国際日本学セミナー室

報 告  大屋 多詠子(青山学院大学文学部准教授)

司 会  小林 ふみ子(法政大学文学部准教授)

        報告者:大屋 多詠子 准教授        司会:小林ふみ子准教授

会場の様子

『曲亭馬琴と日本意識』

 本発表では、曲亭馬琴の日本意識について「やまとだましい」という言葉に着目した。
本来の「やまとだましい」が生来の世に用いられるために必要な、当意馬琴は「日本魂」という言葉を、一貫して、覚悟をもって事を行おうとする場面において忠孝、あるいは潔く揺るぐことのない心持ちを指して使っている。

事に迫りて死を軽んずるは、日本(やまと)だましひなれど多は慮の淺きに似て、
学ざるの?なり。                        (『椿説弓張月』二五回)

「日本魂」は延いては、死に急ぎがちな心をも指すが、命を軽んずることについては、馬琴は否定的である。『南総里見八犬伝』九三回では、主君のために河鯉孝嗣が死を覚悟して、犬士らに戦いを挑むが、犬坂毛野に諫められる。

河鯉孝嗣は・・・詞雄々しく死を急ぐ、忠と孝とに敷嶋の、日本(やまと)魂潔き、
那(かの)親にしてこの子あり。・・・(以下第九四回)・・・和殿この理をよく悟らば、
這里(ここ)にて戦歿(うちじに)すべからず、存命(ながらへ)て主君に仕へ、
諫めて主君の惑ひを覚さば、忠孝両(ふたつ)ながら、全かるべし

このように、馬琴は、むしろ生き延びて忠孝を果たすことを評価している。即妙の機知の働きや、常識的な思慮分別、善悪の是非を弁別できるといったことを指し、後天的に習得する学問である才・漢才と対比して用いられることが多いことについては先学の研究が備わる。これに対して、忠孝を指す馬琴の「日本魂」は、むしろ幕末の尊王攘夷的な色合いが強いように見える。では馬琴の「日本魂」は何に影響を受けたものであろうか。国学者である本居宣長や水戸学からの影響が見られることについては従来指摘されているが、「日本魂」に関しては「やまと魂」を日本民族固有の気概あるいは精神と捉える宣長とは異なり、水戸学とは類似するが、水戸学より馬琴がやや先行する。「日本魂」を忠孝と捉える点は、垂加神道で尊王を説いた唐崎士愛(寛政八年没)と近い。士愛の影響を明確に見出すことは難しいが、「心の?(たづな)寛(ゆる)さゞる、日本(やまと)魂、唐崎の、関路を投て」(『南総里見八犬伝』一四七回)と「日本魂」から「唐崎」を縁語のように引き出している例もあり、馬琴が士愛から間接的に影響を受けた可能性も考えられる。
士愛の例のように「やまとだましい」という言葉は尊王思想と関わりが深い。また馬琴も古くから水戸学の影響下に尊王・勤王思想を抱いていたとしばしば論じられる。馬琴が易姓革命を否定し、王室を万世一系と捉える点は水戸学にも通じるが、馬琴は必ずしも水戸学のように南朝正統論を支持するわけではなく、南北正閏には拘泥せず、むしろ武門に対する王室の正統性を述べている。王室を尊ぶ一方で、和漢兼学を目指し、かつ新井白石の影響下に客観的に歴史を批評しようとする立場を貫き、天皇批判をも行っていることが確認できる。馬琴の「尊王思想」とは、現実の水戸学や尊王運動と直接交わることのない次元のものであったのであり、それは馬琴の「日本魂」という語の使用例からも再確認できる。馬琴の「日本魂」は忠孝をも指すが、必ずしもそれは天皇に対するものではない。馬琴の「尊王思想」は、むしろ歴史を俯瞰した上で歴史批評という立場からの「尊王思想」と言うべきものであったのであろう。

当日の議論では、「やまと」の魂を、儒教道徳である忠孝と捉えたことについて質問があったが、馬琴は天照大神を祭る神道は王室にとっては祖先を祭る行為であり、民が自分の祖先を祭る行為と同じであり、それは忠孝に繋がると捉えていたと考えられる。また、いつ頃から「日本魂」に忠孝の意味付けがされるようになったのかという点については、士愛以前の垂加神道の影響等についても考察する必要があり、今後の課題である。

 

【報告者:大屋 多詠子(青山学院大学文学部准教授)】