第3回研究会(2011.4.2)

法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ1
「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」第3回研究会 報告

アプローチ1「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」


日   時 :   2011年4月2日(土)13:30〜17:00

会  場 : 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階 イノマネ研究センターセミナー室

報  告 :  内原 英聡(日本学術振興会特別研究員、法政大学国際日本学研究所学術研究員)
報  告:      高山 秀嗣(二松学舎大学非常勤講師)

司  会:   田中 優子 (法政大学社会学部教授)

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司会: 田中優子教授

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報告: 内原英聡 氏

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報告: 高山秀嗣 氏

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会場の様子

 

◆内原英聡

 

<風水>と<祭祀>にみる自治と連の変遷
〜八重山諸島を軸として〜

「風水」と「祭祀」は近世琉球弧の村落社会を構築する上で、欠かすことのできない要素として意識されてきた。風水は人々が衣・食・住を獲得するためのフィールド(生活空間)を形成する技術として用いられ、祭祀は、その日々の営みを精神面から支える役割を担った。琉球弧の人々はこの二つの要素が円滑に作用したとき、はじめて豊穣の「世(ユゥ)」がもたらされると考えてきたのである。今回は1771年に宮古・八重山諸島で発生した「明和八年/乾隆三十六年の大津波」を取り上げ(※1)、この大災害を通じて、双方が八重山諸島の社会でいかに重視されてきたかを報告した。
本来、風水は科学的な「地理の法」として活用された。この思想と技術は紀元前の中国で生まれ、10世紀には東アジア全般に普及したと言われる。琉球国でも古地図の形跡から、14世紀以前には風水が導入されていたことが推測されている。
国策として風水を推奨した人物に、三司官の蔡温(1609〜1879年)がいた。彼は留学生として渡唐した際に「地理(風水)」を学び、執政の職に就いた後も土木事業を中心にこの技術を適用した。八重山でも屋敷や墓の選定から村の区画、道路の舗装、潅漑用水の設置、樹木の植栽等に至るまで、生活空間のあらゆる場に風水が用いられた(※2)。
一方、祭祀には、その空間で営まれる暮らしの様々な要素が溶け込んでいた。祭りは生活を通じて得られる衣・食・住の「象徴」であり、死者と生者、あるいは「あの世」と「この世」をつなぐ「時」であり、あるいは、生命の循環を願う「場」として機能した。この報告では八重山の古祭に見られる「来訪神」信仰を事例に挙げた。来訪神とはニライ・カナイ(東方海上の彼方、地の底、洞穴の奥底等)より訪れる神々の総称である。この神々に対する信仰は東南アジア諸国から伝播した型もあり、近世の琉球国内では、度々、取り締まりの対象とされることもあった。1771年の大津波以前にも、この系統の祭りを規制する指令が王府から八重山に向けて布達されている(※3)。しかし、そうした時代の制約を受けつつも、各シマの家や御嶽(聖域)を中心とする祭祀活動が消滅することはなかった。
琉球弧のシマ社会に深く浸透した風水思想、および神々への信仰の基底には、人々を取り囲む「自然」への配慮と、畏敬の念が横たわっていた。この社会の人々は、その地理/自然を尊重することにより、はじめて自らが生かされることを認識していたのである。
※1『大波之時各村之形行書』(石垣市史叢書12)
※2『北木山風水記』(同16)
※3『与世山親方八重山島規模帳』(同2)・『八重山島年来記』(同13)

【記事執筆:内原英聡(法政大学 国際日本学研究所学術研究員)】

◆高山秀嗣

近代仏教者と「日本」−浄土真宗の視点から−

近代の仏教者は、「日本」をどのように認識し、また意識していたのか。「日本仏教の近代的再生」の姿を明らかにするために、近代に大きく展開した「海外布教」について検討した。今回は、近代仏教史の主導的な役割を果たした浄土真宗(特に東西本願寺教団)を対象とし、これらの教団に関係する仏教者を取り上げた。海外布教は、近代仏教の再生に対しても多大な役割を果たす。この活動を考えるために、小栗栖香頂・曜日蒼龍・大谷光瑞に焦点を当てた。香頂と中国、蒼龍とハワイ、光瑞とアジア。彼らは関わった国や地域で、おのおのの独自性を発揮している。彼らが活躍した時期もさまざまであり、それぞれの布教スタイルを「香頂:回帰型」・「蒼龍:移民型」・「光瑞:教化型」と仮に名づけた。さらに、明治10年代初頭の香頂の中国布教、明治20年代初めの蒼龍のハワイ布教、明治30年代以降に本格的に着手された光瑞のアジア布教の具体的内容についても言及した。この海外布教の事例を通して、近代が仏教にとって再生の時代であることが明らかになった。仏教教団が近代化に成功したのは、教団所属の仏教者の鋭敏な感性と柔軟な姿勢にその理由がある。また彼らの行動を全面的に後援した教団首脳部の先見性にも、その遠因は存在した。近代仏教の独自性を、近代化の進展の中に見出すことも可能である。仏教の独自性とは、海外進出の過程で、自らの立ち位置を見失わない布教に賭ける思いであった。ここで取り上げた仏教者たちは、純粋に真宗思想を海外に広めていったといえる。時代に限定された面もあったものの、海外布教によって仏教の近代化を成し遂げようとした思いは、彼らにも通底していたと考えられる。近代とは、仏教にとって現代にも連なっていく伝道再活性化の時期でもあったのである。 本テーマは、近代における「国家と宗教」の問題を、将来的に視野に入れることにもつながる。今回は仏教の海外布教について扱い、それぞれの仏教者が独自の信念で、布教活動を成し遂げていったことを見てきた。さらに、海外布教が教団主導で行われつつも、同時に日本の近代化の動向と深く関わりながら進展したことについても検討を加えた。

【記事執筆:高山秀嗣(二松学舎大学非常勤講師)】