研究アプローチ①シンポジウム「日本意識の時空」(2011.2.26-27)

アプローチ1「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
2010年度 第1回シンポジウム 「日本意識の時空」

日時   2011年2月26日(土)13:30〜18:20

     2011年2月27日(日)10:30〜17:30

会場   法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階 B会議室

司会  田中 優子(法政大学社会学部教授)

 

 

  司会:田中優子教授             発表:坂本勝教授

  

           会場の様子                  資料       

今回のシンポジウムの統一テーマは「日本意識の時空」である。今までの研究会では、国号の決定過程や範囲の変遷が議論のテーマとなった。本プロジェクトが研究対象とする「範囲」とは、法的な意味での「国境」のみならず、自らのアイデンティティの認識する範囲であり、風土、風景および、日常的に使用する地図などに及ぶ。そこで今回は、地図、文様、風土、風景から見えるもの、時代や時間の経過から見えるものなど、具体的なかたちを、日本意識の表れとして読み解いてみることにした。

 坂本勝「〈原万葉〉における〈ヤマト〉の風景」
『万葉集』のうち「原万葉」即ち巻1の1〜53番を考えることによって、国号成立期(7世紀後半)の風景を見よう

という試みであった。そのころのヤマトの範囲は、三輪山の麓、奈良盆地全体、現在の奈良県一帯、日本全体など、複数の空間を意味したと思われる。例えば原万葉の巻1の1、泊瀨朝倉宮時代の天皇の御製の一部に「そらみつ山跡乃国 おしなべて われこそおれ しきなべて われこそいませ」とある。ここには狭い範囲のヤマトを、広い範囲に「おしなべて」「しきなべて」ゆく意識が見られる。原万葉の巻1の2、高市岡本宮時代の御製には「くにはら」「うなばら」が見え、日本全体を「見て」いることがわかる。巻1の52では、藤原宮を東西南北の中心に位置するものとみなし、宇宙構造の真ん中にあると捉える。彼らは、天地、東西南北の広大な宇宙を描く視線を手に入れた。宇宙とつながる国家の空間を、神々が作っていた山々、自然との関係で作り上げたのではないか。

 小秋元段「日本意識の変遷—中世の文学作品を中心に—」
「神国意識」が長らく存在するのはなぜか?という疑問を提起した。『今昔物語』『古事談』『続古事談』『平家物語

』『江談抄』などから、中世の日本人が中国を「大国」とした「小国」意識、「粟散国」意識をもっていたことを明らかにした。またそれとは別に、吉備真備、小野篁、紀長谷雄、大江朝綱、大江匡房など、中国人もねたむような「すごい日本人がいる」という物語も作られてきた。さらに、日本の優等性を主張する『神皇正統記』などが「大日本は神国なり」とした。しかしそれらの意識とは全く別に、『愚管抄』に見られるように、日本や皇統を絶対視しなかった慈円の存在に注目すべきであると、中世の複数の視点を提示した。

 竹内晶子「世阿弥能にみる日本意識」
世阿弥の能が日本をどう描いているかと、異国素材をどう取り入れているか、に注目して分析した。日本の描き方は「

穏やか」「静かな四方の波、海、風」「国土豊か、安全」「平らか」など、全体に平穏であることが強調されている。また、能には異国を舞台とする作品があるが、世阿弥はそれを作らなかった。『風姿花伝』に、唐事は衣装や音楽ではなく、出で立ちのみで表現するように、と書いた。中国の故事を扱う場合も日本を舞台にし、和歌や物語を取り入れて翻案した。漢語もできるだけ使用しなかった。これらの方法が、世阿弥が「幽玄」を作り上げたことと関連するのではないか。

 彭丹「日中陶磁器における龍文」
中国の陶磁製造が王権と強く結びつけられていたことを前提にして、皇帝のトーテムである龍が日本ではどのように扱

われたかを陶磁器に限って考察し、そこから日本における王権の性格を捉えようとした。日本では陶磁器が茶の湯によって発展し、南宋、元、明のものが輸入されて使われ、日本でも作られるようになったが、中国のような(天皇の)官窯は存在しなかった。龍に相当する天皇のシンボルも陶磁器に登場することはなかった。これは陶磁器が王権と関連せず茶の湯の文化としてのみ発展したという理由もあるが、天皇王権の弱さをも表しているのではないか。

 横山泰子「ナショナルかローカルか、もしかしてネイティブ?─ノスコ著『江戸社会と国学』の翻訳作業をふりかえっ

て思うこと─」
ピーター・ノスコの著書を翻訳した経験から、「国学」の英訳nativismに注目し、「日本意識」をnative
consciousnessという概念で考えることを提案した。native、nativityという概念すなわち、「生まれ」や「故郷」と、「日本」との一致、不一致の問題が研究対象として重要であることを問題提起した。質疑応答の中ではさらに、国の中央はnativeとnationが一致しやすく、地方では一致しにくいという問題や、中国や韓国では生まれの土地ではなく祖先がnativeとして認識されることと比較すべきであることなどが提起された。

 米家志乃布「地図から見る近世日本意識の変遷」
様々な時代の地図から、日本の形が認識できることを提起した。行基地図は各国(各地方)がたわら型で、それをつな

げる形をしている。仏教系の地図はインドの世界観を基礎としており、「国絵図」は、やはり各地方を基準とし、それらをつなげたものである。質疑応答では、道中図が今の地下鉄路線図に相当することが指摘され、地図の研究は、実際に人々が多様な地図をどう組み合わせて使っていたか、の研究になるであろうことが予測された。


2日間のシンポジウムにおける議論では、数々の具体的な提案もされた。主なものとしては、「自らの中のnativismを
意識する」「日本意識の主体にもっと注目する」「国内だけではなく西洋との比較でもなく、中国、韓国と比較しておこなうべきである」「特殊(支配層や知識人)と一般の発想を同時に見る」「植民地の日本意識」「天皇と天皇制」である。来年度より、これらのテーマを組み込んで行く。
                         

【記事執筆:田中 優子(法政大学社会学部 教授)】