研究アプローチ①第1回映画上映会(2010.10.17)

法政大学国際日本学研究所の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクトのアプローチ1 「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」では、
第1回映画上映会(試写会、対象:学内関係者)を開催いたしました。

アプローチ1 「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
2010年度 第1回映画上映会 (試写会、対象:学内関係者)
「うつし世の静寂(しじま)に」

制作: ささらプロダクション
監督: 由井 英
内容: 川崎市北部の集落における、江戸時代以来の講、巡り地蔵、三匹  獅子舞を素材に、宗教とは異なる、生活のなかでの自然に対する「祈り」を  ドキュメントしたもの。首都圏の日本の、もうひとつの姿が見える。

日 時    2010年10月17日(日)

会 場    法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 さったホール

上映時間    14:00開始 (13:30開場)

講演もしくは鼎談    15:45〜 (45分〜1時間) 

                         

 アプローチ1 「日本意識の変遷」では、2010年10月17日に映画の上映会をおこなった。ささらプロダクションのドキュメンタリー映画『うつし世の静寂(しじま)に』である。まだ都心での本格的な上映が始まっていない映画であったが、プロダクションのご厚意で、実現できた。
日本をどう考えるか、どういう側面から日本を見るか、という問題は、歴史書や思想書や文学だけでなく、あらゆる表現によって考えることができる。沖縄文化研究所が沖縄の貴重な記録映像の数々を上映したように、国際日本学研究所もいずれは、定期的に、日本を考える映画を連続上映し、そこに対談や講演、座談会を組み合わせる、という案を私はもっている。まずは日本意識プロジェクトでそれを始めようと考え、協力していただけるプロダクションの映画から始めたのである。
『うつし世の静寂に』は、日本についてのいくつかのテーマをもっている。ひとつは「講」の役割である。
日本の集落には、講、座、結、組など、小さな組織が多種類あり、人々はその複数の組織に属して共同体を運営していた。その中で講は中世では仏教をひろめるためのものであったが、江戸時代では経済活動にもかかわる様々な機能をもっていた。念仏を唱え共に食事をし、伊勢や善光寺参りなどの金を工面し、結婚や家屋修理のための費用を融通してきたのだ。講では必ず掛け軸をかける。掛け軸には阿弥陀 如来や菩薩が描かれている。講では、現世(うつしよ)に生きる人間がものごとを決める際、神や仏が同座したのだった。無尽講で金銭のやりとりをする時にも、神仏はそれを見ている。
『うつし世の静寂に』は、大都会である川崎市を撮った映画だ。しかしそこに「念仏講」が残っている。掛け軸をかけ、共食し、数珠をまわす。講が残っているということは、この大都会に信仰を軸にした共同性が残っている、ということを意味する。実際に念仏講だけではなく、「巡り地蔵」も現存する。巡り地蔵とは、地蔵菩薩を厨子に入れ、それを家から家へ受け渡す習俗のことだ。それぞれの家ではその地蔵に子供の無事と成長を祈って数日を過ごし、さらに別の家に受け渡す。互いに受け渡す関係が残っていなくては、存続できなかったはずである。
このように『うつし世の静寂に』からは、表面的な現代日本の姿ではなく、ふだんは見えない祈りの生活が立ち上ってくる。そこには個人の信仰ではなく、宗教団体でもなく、祈りを基盤にした共同体の姿が見 える。日本の信仰のありようを知ることができる。
祈りを基盤にした共同体に祭は欠かせない。映画のクライマックスは三匹獅子舞である。この映画では、初山という集落が、明治の神社合祀によってやしろが消滅した森に、100年ぶりに三世代の獅子舞を奉 納する様子が映されている。神社ではなく森に向かうその姿に、祭の本質が見える。神社とは集落にある山、森、岩、齢を重ねた樹木、谷戸を流れ来て水田に満ちる水、そこに住まう蛙や蛍や鳥やありとあらゆる生き物たちに、祈りを捧げる場所であった。人が自然の中に、己を位置づけ直す空間であった。神社の 本来の意味が、神社の無い森にこそ見えてくる。
仏教なのか神道なのか、それは日本の共同体にはどうでもよかった。祈りはそれぞれの土地の、その自然と産業(農業、林業、漁業など)に深く結びついていた。この映画では、谷戸が暮れて蛙が鳴き蛍が 飛び交い明けて行くまでの光景、畔(くろ)を作って山の水を入れるシーン、森や田畑の情景などが、長い時間映される。この自然の恵みこそが、講や巡り地蔵や獅子舞が向き合っている相手であり、祈りの対象だったのである。人の生活文化が自然と結びついていたその姿を、私はこの映画で、初めて見ることができた。
映画終了後、ささらプロダクション代表でプロデューサーの小倉美惠子氏、監督の由井英氏、田中優子 の3人で鼎談をおこなった。小倉さんはこの映画の舞台となった川崎市宮前区の出身である。1980年代に仕事でアジアの留学生たちと関わった。風土とつながりあう身体を歌や踊りのかたちで表現できる留学生たちをみつめながら、日本における近代と風土のギャップを強く感じたという。本当のグローバリズム に至るためには、地元学が必要だと考えた小倉さんは、自分で川崎のお百姓の姿を撮り始めた。そこに、監督の由井英氏が加わることで、本格的な映画作りが始まった。
ささらプロダクションはすでに『オオカミの護符』という映画を作っている。そのときに二人は「御嶽講」に出会う。そこからさらに講の世界を追求しようと、『うつし世の静寂に』が出来上がった。この映画で映され  た獅子舞の奉納が「100年ぶりであった」ということから、話題は100年前の日韓併合や大逆事件へと移った。神社合祀がこの時期におこなわれたのであろうことが話題となり、日本国家が共同体に介入してきた歴史も浮かび上がる。
映画は単に鑑賞するだけでなく語り合うことによって多面的な解釈が可能となり、理解はさらに深まる。来年度は上映会をより拡大して実現したい。

【記事執筆:田中 優子(法政大学社会学部 教授)】