研究アプローチ②第1回研究会(2010.5.29)

法政大学国際日本学研究所研究プロジェクト

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識)の現在・過去・未来」のアプローチ2: 近代の〈日本意識〉の成立「日本民俗学・民族学の問題」

第1回 研究会

2010年5月29日(土)10:00-17:00

法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階 国際日本学研究所セミナー室

 

参加者のプロジェクトメンバー                      研究会の様子

後段左より:黄智慧 氏、川村湊 氏、安孫子 所長、山本真鳥 氏 、近藤雅樹 氏、石井正己 氏、桑山敬己 氏、

前段左より:全京秀 氏、ヨーゼフ・クライナー プロジェクトリーダー 、川田順造 氏、崔吉城 氏、伊藤亜人 氏

平成22年度文部科学省戦略的研究基盤形成支援事業に採択された、国際日本学研究所研究プロジェクト「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の現在・過去・未来」のアプローチ2:近代の〈日本意識〉の成立「日本民俗学・民族学の問題」では、529日(土)に第1回研究会を開催した。全体のテーマは明治維新以降、19世紀及び20世紀を通じた約140年間の日本の民族学・民俗学の日本意識の形成への貢献である。そのなかから最も重要と思われる一つの時期である1930年代から1950年代にかけての30年間を初年度の研究としてとりあげることした。

 この第1回研究会には、本学から4名、北海道大学、早稲田大学をはじめとする国内の研究機関から7名、そして韓国、台湾の研究機関から2名の研究者が出席し、具体的な研究テーマとプロジェクト参加者の共同研究の基礎を創るための自由な討論を行った。この研究の中心となるのは、民族学、民俗学、社会学、歴史学(近現代史・思想史)の学際的なアプローチである。

 討論によって、以下の学史上の重要な転換期が確認された。

 まず昭和9年から昭和10年は、澁澤敬三を中心とする民族学会の設立と、柳田国男の還暦を機とした日本民俗学講習会での民間伝承の会の設立があり、民族学・民俗学の大きな転換期であった。ただこの二つの学問分野の目的や研究方法は、その時点では明確に分かれてはいなかった。当時の日本の帝国主義のもと、植民地民族学や一国民俗学は、台湾における『民俗台湾』、朝鮮における『朝鮮民族』の定期的な刊行、そして、柳宗悦が推進する民芸運動では、アイヌ、沖縄、朝鮮の民芸が対象とされ、複雑な展開をしていく。戦時中は軍が南洋、東南アジア、中国などへの進出に民族学を援用するようになり、東京には民族研究所、台北帝国大学でも民族学の調査・研究がさかんになった。

 戦後、諸外国、中国、旧満州、主に旧京城帝国大学と旧台湾帝国大学の民族学・民俗学研究者が内地日本に戻り、二つの学問の日本国内の発展に大きく貢献し、新たな転換期をもたらした。また同時に、GHQCIE教育情報部がアメリカの文化人類学を導入し、何人かの日本人の社会学・民族学・民俗学の研究者が村落調査に動員された。ルーズ・ベネディクトの『菊と刀』が日本語訳され、石田英一郎や泉精一のアメリカでの経験をふまえて文化人類学が日本にもたらされ、東京大学に居所ができた。しかし、まだその当時は、文化人類学は主流ではなく、むしろ岡正雄をはじめとする歴史民族学が主流であった。岡の1933年ウィーン大学での卒業論文をもとに昭和23年に東京・神田で「日本民族の起源」を取り上げる学際的な研究会が開催され、東京都立大学、明治大学に社会人類学・文化人類学の講座が設置された。アイヌ研究では、戦前の千島調査、戦後の沙流谷調査があった。しかし、アイヌはある意味であまりおもてにその研究がみられず、沖縄研究が重要視された。柳田の民俗研究所は、民族学との競合のなかでその学問的展開に及ばす、柳田個人の民俗研究所は閉鎖となった。柳田は1961年、その一生の研究のまとめとして『海上の道』を著した。

 これら学問上の転換期のなかからいくつかのテーマを選択し、グループをまとめ、9月25日・26日の二日間にわたる第二回研究会を設定することが決まった。第二回研究会では、それぞれの研究報告と討論を行う。なお、第二回研究会には、アメリカ・スタンフォード大学のベフ・ハルミ先生とドイツ・ボン大学のオイルシュレーガー先生も出席する。今年度の研究の総括として、12月11日・12日に学際的かつ国際的なシンポジウムを法政大学において開催することが決定した。

【記事執筆:ヨーゼフ・クライナー (法政大学 国際戦略機構)】