2009年度客員学術研究員研究発表会(2009.9.26)

法政大学国際日本学研究所
客員学術研究員研究発表会 報告

 

  • 日時  9月26日(土) 13:00〜18:20
  • 場所  法政大学市ケ谷キャンパス ボアソナード・タワー 26階 A会議室
  • 発表者(五十音順)及川淳子、申恵蘭、鈴村裕輔、高橋寿美子、デルマス・ソニア、安井裕司
  • 司会   王 敏(法政大学国際日本学研究所 教授)

 

 

去る2009年9月26日(土)、13時から18時20分にかけて、法政大学ボアソナードタワー26階A会議室(東京・千代田区)において、法政大学国際日本学研究所客員学術研究員研究発表会が開催され、及川淳子、申恵蘭、鈴村裕輔、高橋寿美子、ソニア・デルマス、安井裕司の6人が報告を行った。

及川の「中国における日本研究——CNKIを活用した文献検索の現状と課題——」では、中国のデータベースCNKI(China National Knowledge Infrastructure)について報告がなされた。主な内容は、1CNKI概要、2日本研究の文献検索の実例、3CNKIの課題、であった。中国の国家プロジェクトとして推進されているCNKIは膨大な情報量を誇り、網羅性という点に強みをもつデータベースだが、収録対象となる学術誌や論文の選定基準や著作権の問題、インターフェースなど、制作・管理する側と利用する側の双方に課題が存することが明らかにされた。また、中国における日本研究の最新動向を理解するためには、様々な課題も含めて、中国の日本研究者がどのようにCNKIを活用し、研究活動を行っているのかを考察することが重要だと指摘された。

申の「韓国における村上春樹文学の展開——社会文化的記号としての村上春樹文学——」は、村上春樹の文学における世界観の特徴と、韓国における村上春樹の文学の受容のあり方が検討された。その結果、村上の文学に現れた世界観は、1言語の背理、2人間に与えられた認識能力の限界、3既存の価値の否定、4活きる論理としての公正さ、に基づいていることが明らかにされた。また、韓国では、戦争体験や「家族イデオロギー」を背景とした政治、戦争、家族、出世を主題とする作品が長らく小説の中心であったが、個人を中心に置く村上の作品が紹介されたことで、特に若い世代の読者の間で高い支持を得た過程が説明された。そして、韓国では村上の作風を模倣する作家たちが現れたが、その作品は家族を中核に据え、家族への希望を内包するものであると指摘された。

鈴村の「分断的な力としてのイデオロギーに対する石橋湛山の批判」は、石橋湛山の1920年代から1930年代にかけての議論から、石橋の経済的自由主義と国際協調の重視が国際社会に対するいかなる理解に基づいていたのか、議論の過程でイデオロギーの問題をどのように扱ったのか、を検討した。まず、石橋は、日本にとって経済的ブロック化よりも自由主義的経済政策を採用することが国益に繋がるとの考え、特に米英両国との連携を重視したことが指摘された。また、1931年の満州事変以降、米英国内では日本を「ファシストが支配する国家」というように、イデオロギー上の敵とみなす傾向が強くなったが、石橋は、「イデオロギーを根底とする絶対主義」は相手を屈服させるまでは満足されないものであり、それゆえに日本と諸外国の協調関係が困難になる、と批判したことが明らかにされた。

高橋による報告「「日本近代文学」成立過程における異文化の興亡——「江戸」対「非江戸」」は、「日本近代文学史」から漏れた明治文学の潮流としての「江戸風文学」の再評価を試みる発表であった。本報告では、軽妙洒脱さや風刺に満ちた文体で洒落や滑稽の要素が強く、明治20年代から明治30年代にかけて一世を風靡した「江戸風文学」が、明治40年代には「リアリズム」と「厳粛」さを特色とする「自然主義」文学に代表される「日本近代文学」に取って代わられた過程が明らかにされた。また、明治20年頃から地方から東京に流入する、「新しい」教育を受けた地方出身者が増えたことで、「江戸風文学」の面白さを理解することが難しくなり、それによって、洒落や滑稽が文学の理念や美学としてではなく、「不真面目」なものと捉えられたことが、「江戸風文学」の凋落の原因の一つとして指摘された。

デルマスは「ドゥルーズ哲学における日本映画」と題して報告し、日本の映画を通して新しい形而上学を模索したフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの論考を検討した。ドゥルーズは黒澤明、溝口健二、小津安二郎を取り上げ、その作品の分析を行い、1黒澤は、状況が与えられることを問題が与えられることにまで高めながら、「行動を媒介にした、状況から変化した状況への移行」である「大きな形式」を変化させるものである、2溝口は、強度と強度を結び付けながら、「環境への行動から出発して、新しい行動へと至る移行」である「小さな形式」を変化させる、3小津は、人間のありふれた出来事の現在的な時間を、「変化するものの不動の形式」である、無際限な時間に接続させることに成功した、と考えたことが紹介された。このようなドゥルーズの分析を通して、ドゥルーズが小津を「純粋な形而上学者」と考えていたことが明らかになった。

安井による報告「日本における国連中心主義と民間国連運動——ユネスコ運動を中心に」では、民間の運動としての国連中心主義に焦点を当てて発表がなされた。1957年2月の石橋湛山内閣の施政方針演説で初めて用いられて以来、政界における「国連中心主義」への支持は盛衰を繰り返したが、民間における国連中心主義は、1947年の民間ユネスコ運動の開始以来、支持を失うことなく一貫して続いていることが明らかにされた。また、1951年7月に日本がユネスコに加盟し、1952年6月には「ユネスコに関する法律」が成立し、民間運動と政治が接点をもつという日本では珍しい現象を起こしたユネスコ運動は、現在、その歴史的な使命を終えつつあるが、日本人あるいは日本の土着的な部分とが結び付き、イデオロギーを超えた、国際的な顔をした国内的な規範を作り上げたという点で、重要な意味を持つことが指摘された。

いずれも、報告者の日ごろの研究に基づく最新の成果の発表であり、国際日本学の現在の動向を知る上でも示唆に富む内容であった。(以上、敬称略)

【記事報告:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所 客員学術研究員)】