第2回アルザスシンポジウムに向けての勉強会(2009.7.24)
2009年度アルザスシンポジウム(人体と身体性)に向けての第2回勉強会報告
2009年11月1日-3日にフランスのアルザス・ヨーロッパ日本学研究所(CEEJA)で開催予定のシンポジウムに向けての第2回勉強会を開催しました。
日時 7月24日(金)18:00〜20:00
場所 法政大学市ケ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階 B会議室
報告者 川田順造 氏(人類学者、神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員)
テーマ 「人体を総合的に考える−文化を生む人間・文化に条件づけられる人間」
司会 ヨーゼフ・クライナー(法政大学特任教授)
2009年7月24日(金),18時から20時過ぎまで,法政大学市ヶ谷キャンパス・ボアソナードタワー25FB会議室において,「2009年度アルザス・シンポジウム「人体と身体性」にむけての第2回勉強会」が開かれた.今回は日本を代表する人類学者である川田順造先生から,「人体を総合的に考える—文化を生む人間・文化に条件づけられる人間」いうテーマでレクチャーをしていただいた.内輪の勉強会ではあったが外部からの聴講者も多数で,質疑応答を含めて,予定時間を大きく超える会となった.
川田先生の気宇大きくかつ含蓄深いお話の流れは,先生ご自身の「発表概要」に明示されている.そこでは「三つの側面」から「人間と文化」を扱うと述べられておられた.
第一の側面:「ヒトの身体が,哺乳動物としては稀な長い樹上生活と,他の霊長類から分かれて地上に降りての,700万年来の直立二足歩行に伴うどのような特徴によって,他の動物と異なる文化を生んだかについて考える.そこでは,ヒト一般とヒトの文化一般が問題となる」.ここでは,数例を上げれば,樹上生活によってモノを掴む力や,上肢の可動性が得られたこと,また二足歩行によってはモノを運ぶことや,声帯が下がり構音器官が発達したことなどが語られた.
第二の側面:「その文化の力によって,12−15万年からアフリカを旅立って世界の多様な地域に拡散し,多様な文化を生み出したヒトの身体が,同時に自分たちが生み出した文化によって,いかに条件づけられてもいるかを問題にする.ここでは,複数のヒトの群れと複数の文化の相互関係について,とくに私の提唱してきた<文化の三角測量>の方法によって,日本・フランス・西アフリカ(とくに旧モシ王国)の事例を中心に,…お話しする」.今回のレクチャーの中心部分で,先生ご自身が撮られた写真資料を豊富に用いてのお話は圧巻であった.心理学が言う「手続き的記憶」によって身体は文化の記憶を蓄積していき,異なる文化は異なる「身体技法」を形成していく.おふくろの味と呼ばれるような特有な味覚が形作られる,一定のことばを視覚・聴覚が見分け・聞き分けるようになるといったことから始め,ダンスの仕方や,農工作業とそこでの道具の使い方に至るまで,異なる文化の背後にあるのは,文化が生む異なる「身体技法」なのである.
第三の側面:「社会的存在としての人間が,どのように異なったやり方でとらえられてきたか」.このように形成された「身体技法」は,それを共有する人間集団の集団性をも規定していく.上げられていた例で言えば,個よりも集団への帰属が優先する日本社会では,たとえば「アイデンティティ」といった言葉は翻訳不可能にとどまる,といったことにもなるのである.
このように,一見して限界づけの役割も持つとはいえ,個々の文化の在り方をグローバリゼーションの名の下で消し去り平準化していくような傾向は容認できない,それが締めくくりとして先生が述べられたことであった.先生に従えば,文化はグローバルな力がやがては飲み込んでいくであろう,ただローカルなものと見なされてはならないのであり,個々の文化はその特殊性において普遍的な価値を持つとむしろ考えてゆかねばならないのである.
以上,今回の勉強会では,身体の問題が実は文化の問題の中心に位置づくということ,つまり,今更ながらではあるが,身体論の根本意味について,たいへん貴重なご教示をいただいたわけである.
【記事執筆:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長、文学部教授)】