法政大学国際日本学研究所特別研究会(2009.4.10-25)

学術フロンティア・サブプロジェクト3 日本の中の異文化

法政大学国際日本学研究所特別研究会                   

「昭和30年代の南西諸島の民族学的研究と日本文化論」


2009年4月10日(金)13時00分〜16時40分 クライナー・ヨーゼフ(法政大学特任教授) 

     4月11日(土)13時00分〜16時40分 クライナー・ヨーゼフ(法政大学特任教授) 

     4月17日(金)13時00分〜16時40分 芳賀 日出男                         

                              (財団法人日本写真家協会名誉会員) 

          4月18日(土)13時00分〜16時40分 伊藤 幹治(国立民族学博物館名誉教授) 

     4月24日(金)13時00分〜16時40分 住谷 一彦(立教大学名誉教授)                                                

                             村武 精一(東京都立大学名誉教授) 

     4月25日(土)13時00分〜16時40分 植松 明石(元跡見学園女子大学教授)

    • 場 所:    法政大学市ケ谷キャンパス
      58年館2階国際日本学研究所セミナー室

    • 司 会:   クライナー・ヨーゼフ (法政大学特任教授)


研究会『昭和30年代の南西諸島の民族学的研究と日本文化論』

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 第三サブ・プロジェクト『日本の中の異文化』の枠内で4月10日から25日にかけて『昭和30年代の南西諸島の民族学的研究と日本文化論』というテーマで6回にわたって研究会を開催した。広い意味の日本文化の中で、「内地」のいわゆるヤマト文化と並んで、沖縄を中心とした琉球の社会と文化は存在し、その調査研究は日本の基礎文化のより正しい理解に不可欠である。明治時代の先覚者(田代安定、笹森儀助等)につづいて大正時代に沖縄で伊波普猷や東京で柳田国男と折口信夫が南島研究を確立したが、戦後昭和25年頃から昭和40年にかけた十数年間に南西諸島研究が「日本文化論におよぼした影響の意義は格別であった。またそれと同時に、民族学の発展の一方、民俗学の停滞が他方、その両方が南西諸島の実地調査とその理論的な分析に大きく左右された。

 民族学の方では、R.ベネディクトの『菊と刀』の刊行や岡正雄、石田英一郎、江上波夫等の構築された歴史的見方、そして澁澤敬三の学際的共同研究のアプローチは注目をあびた。それと比べて民俗学は柳田の民俗学研究所を一つの拠点を得たが、石田をはじめ民族学研究者のするどい批判に答もなく後退したような印象を見受ける。

 このような背景の前で、1950年代奄美をはじめ沖縄本島や先島群島で調査研究を行った日本の文化人類学の指導的な役割を果たして来られた5人の先生方をお招きし、それぞれの学問的生い立ち、南西諸島の研究を取り上げた理由、現地調査の経路、そしてその調査研究で得た見解がその後の研究動向にどう影響したか等々について、研究会の発案者クライナーとまじえて自由に発表・討論していただいた。

 日本写真家協会名誉会員芳賀日出男先生は数多いスライドを使いながら昭和30年から3年間にわたって行われた九学会連合の奄美調査を説明、又当時の島の生活を紹介した。国立民族学博物館名誉教授伊藤幹治先生は「南西諸島調査のころを回想する」という題で柳田国男との出会いからはじまって「日琉同祖論」をめぐる最近の先生の学説まで話を拡げた。立教大学名誉教授住谷一彦は「奄美と波照間島調査からの氏神信仰の再検討」で河上肇との出会い、そして宗教学の原田敏明先生から受けた感銘を述べた。

 都立大学名誉教授村武精一は「沖縄の社会と宗教をふりかえって」の中で、都立大学社会人類学研究室の沖縄総会調査を紹介し、最後は元跡見学園女子大学教授の植松明石女史が「消えたシマ─新城パナリ下地の焼畑農業をめぐって」を報告、当時の調査の分析やその出版計画についても触れた。

 総括すると、クライナーを含めた報告者は、最初に考えたよりも柳田をはじめ大藤時彦や折口信夫のような民俗学の代表的な先生方の影響を強く受け、それぞれの問題意識の基盤としたと思っても差し支えない。

               【記事執筆:クライナー・ヨーゼフ (法政大学特任教授)】