天皇・天皇制アルザスシンポジウムにむけての第3回勉強会(2008.9.27)

学術フロンティア・サブプロジェクト1 異文化研究としての「国際日本学」の構築

天皇・天皇制アルザスシンポジウムにむけての第3回勉強会
「二つの「密教」と二つの「顕教」−日本憲政史の中の天皇」

報告者 坂野 潤治 氏 (東京大学名誉教授)     

  • 日 時  2008年9月27日(土)14時00分〜16時00分 
  • 場 所 法政大学市ケ谷キャンパス 80年館7階会議室
  • 司 会  安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長)

 

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2008927日(土)14時から16時過ぎまで,法政大学市ヶ谷キャンパス80年館7階会議室において,「天皇・天皇制アルザスシンポジウムにむけての第3回勉強会」が開かれた.今回は東京大学名誉教授坂野潤治先生から,近代の天皇・天皇制について,「二つの「密教」と二つの「顕教」日本憲政史の中の天皇」というテーマでレクチャーをしていただいた.

前二回に引続き内輪の会ということもあって10名ほどの参加者であったが,明治維新から大正・昭和初期に至る歴史の流れの中で,戦前天皇制がどう成立していったかを,ご自身の近著『日本憲政史』(東京大学出版会)にも拠りつつ,憲政の成立と展開の観点から,きわめて明快に説明していただいた.

すなわち,明治維新に始まる近代日本の政治体制の確立過程は,「一君万民」といった言葉に見られる,社会上下からの二つの運動「一君」と「万民」を協働させる道の模索から始まった.幕末の「公議論」や「五箇条のご誓文」などにも見られるように,天皇を「一君」として頂くことと,議会開設を通じて「万民」に政治を開くこととは,車の両輪として相伴うものとして認められていたのである.

しかし実際には「一君万民」は「一君」の強調(保守派)と「万民」の強調(リベラル派)とに引き裂かれていく.明治憲法の制定過程がまさにその綱引きの場であったが,明治憲法の内部でも,両派はさらに激しいせめぎ合いを続けていく.明治憲法の解釈での,穂積八束の天皇主義と,美濃部達吉の天皇機関説との対立がそれである.それは社会エリート間のものであり,両者がともに「密教」的状態で行っていたせめぎ合いと言い得よう.

やがて両者がともに一般国民を巻き込み「顕教」化していくに連れて,そのせめぎ合いもより社会的なものへと転じていく.大正デモクラシーを通じてまず「顕教」化したのは,「万民」派の側であった.その一定の成果である男子普通選挙法の成立はしかし逆バネ効果を生み,「一君」派の側の「顕教」化も促していく.例えば統帥権問題が政争の具とされ,大政党の右傾化も進むのである.こうして日本社会の左右の揺れ動きは振幅を増し,やがてはその全体が「一君」の側に大きく収束していくことになる.

以上,今回の勉強会では,天皇制が,近代日本においては,それの文化的意味云々以前に,まさに政治そのものであったことを,改めてご教示いただいたのである.

    

                 【記事執筆:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長、文学部教授)】