第1回東アジア文化研究会「日本社会・日本文化の周縁性と特異性」(2008.4.28)

第1回東アジア文化研究会 「日本社会・日本文化の周縁性と特異性」

報告者    伊藤 亞人 氏 (琉球大学大学院人文社会科学研究科教授)

・日 時   2008年4月28日(月)18時30分〜20時30分
・場 所    58年館 2階 国際日本学研究所セミナー室
・司 会   王 敏 (法政大学国際日本学研究所教授)

2008年4月28日(月)、18時30分から20時30分過ぎまで、法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階国際日本学研究所セミナー室において、第1回東アジア文化研究会が開催された。今回は、琉球大学大学院人文社会科学研究科教授の伊藤亞人氏をお招きし、「日本社会・日本文化の周縁性と特異性」という演題のもとで行われた。

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「真の日本社会の特殊性とは何か」

2007年に東アジアにおける日本研究チームが中国の主要大学、研究機関の一部を対象に「日本文化への問いかけ」と題する事例調査をした。予想したとおり、日本研究者にとって刺激的な回答が多かった。日本社会の特殊性に注目した提言も少なくなかった。

ところで、日本人研究者はどのように自国の社会と文化の特殊性を考えているだろうか。日本文化の特殊性の研究者はまだ少ないのが実情であろう。琉球大学教授伊藤亞人氏は数少ない研究者の貴重なひとりである。近著『文化人類学で読む 日本の民俗社会』(有斐閣・2008年1月)は多大な啓発を受ける力作と思う。伊藤氏に2008年度における第一回研究会で「日本社会の特殊性と周縁性を考える」というテーマで報告していただいた。以下はその要約である。

近代化の先例になった日本は非西洋世界における近代化(産業・経済発展)のモデルではあるものの、日本社会の特殊性によってつくられた要因を、あらためて考えてみる必要があるという。

日本は地理的に東アジア文明圏に属する。東アジア文明には大伝統として論理体系的な人間論や世界観が認識されるにかかわらず、日本の受容は断片的にすぎない。仏教にしても土着化と習合化、儒教(朱子学)にしても武家社会中心にとどまり、民衆へは明治以降になって断片化されて普及したにすぎない。日本の小伝統として位置づけ可能な感性的な自然観が基礎になっている。武士道、歌学、国学、民芸運動など、「もののあわれ」といった感性による追求であり、東アジアの大伝統からは遊離したところにある。

こうなった重要な理由として、島社会の閉鎖性があげられている。アジアにおいて日本は周縁の位置にあるけれども、自覚が乏しかったため、閉じこもった文化蓄積に気付くことがなかったという。幕末・明治以来のエリートの体質も周縁性の無自覚に起因し、理論を追求する弱さから正統性の根拠を西洋的価値観に求めた。一方で、日本の小伝統の自覚・認識の高揚から、和魂洋才という形でディレンマが生まれた。

伊藤氏は「技術・制度面の達成によって近代化の成功例という評価が下される中で、周縁的民俗文化の未開な様相(論理体系性の欠如)は見過ごされ、課題は先送りされ、ディレンマも自覚されることなく、文明・世界システムの中で排除されることなく存続しえたことこそが日本の特殊性といえる」という視点から、「日本社会・日本文化の特殊性とは、その近代経験過程において占めてきた位置と経験に起因するものである」と展開された。

最後に伊藤氏は周縁的様相に対する肯定的な評価をあげながら、こう指摘している。「日本社会における周縁性をめぐる経験は、日本に限定されたものではなく、社会のシステム化にともなう周縁性に関わる普遍的なディレンマとなっている」「日本社会におけるこうした特質をよく自覚することが、日本人がその伝統を生かしつつグローバルな社会における日本的な貢献に道を開く」と、このように結論付けられた。

目から鱗のような峻烈な報告という印象である。

【記事執筆:王 敏 (法政大学国際日本学研究所教授)】。