国際日本学シンポジウム「翻訳の不可能性をめぐって」(2007.11.22-24)

国際日本学シンポジウム「翻訳の不可能性をめぐって」

  • 報告者はプログラムをご参照下さい。
  • 日時:2007年11月22日(木)〜24日(土)
  • 場所:アルザス欧州日本学研究所 [CEEJA] (フランス・キーンツハイム)
  • 共催:法政大学国際日本学研究センター・研究所、フランス国立科学研究学院[UMR8155]、ストラースブール・マルクブロック大学、ボン大学近現代日本研究センター、アルザス欧州日本学研究所

 


ヨーロッパのほぼ中央に位置し、文化的に仏独のいずれとも深いかかわりをもつ、フランス・アルザス地方(コルマール近郊のキーンツハイム)にある、アルザス欧州日本学研究所において、法政大学国際日本学センター・研究所ほか4つの大学・研究機関が共同で、11月22日から24日の3日間、国際シンポジウム「翻訳の不可能性をめぐって」を開催した。そこでは、法政大学8名(星野勉、相良匡俊、安孫子信、田中優子、王敏、小口雅史、山中玲子、スティーヴン・ネルソン)、フランス国立科学研究学院2名(Josef KYBURZ、Hartmut ROTERMUND)、ストラースブール大学2名(Christiane SEGUY、Sandra SCHAAL)、ボン大学1名(Hans-Dieter OELSCHLEGER)、フランクフルト大学(Christian STEINECK)、デュッセルドルフ大学1名(Shingo SHIMADA)、ベルリン自由大学1名(Irmela HIJIYA KIRSCHNEREIT)の計16名からなる日本学研究者が研究発表を行なった。また、参加者の専門分野は、哲学、宗教学、文学、歴史学、文化人類学、社会学などと多岐にわたり、文字通り国際的かつ学際的なシンポジウムであった。

alsace2.jpg  alsace1.jpg

 

これは、また、国際シンポジウム「日本学とは何か —ヨーロッパから見た日本研究、日本から見た日本研究—」(2005年12月1日〜3日、パリ日本文化会館)から、国際研究集会「国際日本学 —ことばとことばを越えるもの—」(2006年11月18〜19日、法政大学)に至る一連の事業展開を受け継ぐものである。

ところで、2005年パリ国際シンポジウム開催のおりに、会場であるパリ日本文化会館では日本の「妖怪展」が開かれていた。日本の古い妖怪画から最近の水木しげるの妖怪画まで展示されていたが、フランス人にもなかなか好評であったと聞いている。そのさい、「妖怪」をフランス語にどう訳すかということがたいへん問題となったらしい。しかし、結論は、フランス語には翻訳しがたいということであろうか、「妖怪」は「YOKAI」となった。もとより、「fantome」、「spectre」というようなフランス語をそれに当てることはできる。しかし、それはそれでフランス文化の文脈でのみもちうる独特の意味を示すものであるから、かえって「妖怪」が日本文化の文脈でもっていた意味を見えなくしてしまいかねない。イタリアの哲学者クローチェも言っているように、「どんな〈翻訳〉も裏切りのようなものである」。おそらく、優れた翻訳とは、優れた語学力に裏打ちされたものであることは言うまでもないが、同時にまた、翻訳不可能性に対する感覚に裏付けられたものでなくてはなるまい。

国際シンポジウム「翻訳不可能性をめぐって」は、この「翻訳不可能なもの」に迫ることによって、1)そもそも翻訳とは何か、よい翻訳とはどのような翻訳であるか、翻訳において何が起こっているのかを改めて問い、そこから、2)異文化理解や異文化交流のあり方を照らし返して、そうして、3)日本学、日本研究をより開かれた場面に位置づけ直すことを課題とするものであった。コーディネーター役を務めた、Josef KYBURZ、Sakae GIROUX-MURAKAMI(ストラースブール大学)、そして、星野による、趣旨説明とともに本シンポジウムは開始された。

 

翻訳と言えば、第一義的には言語で表現されたテクストの翻訳を意味する。しかし、翻訳には、美的なもの、詩的なものの翻訳からはじまって、日本における明治維新以降の近代化に認められる、文化や思想の翻訳、そして、法律・政治・経済などの社会制度の翻訳にいたるまで、様々ある。

そこでの研究発表をいくつかの類型に纏めるならば、第一の類型は、「翻訳不可能なもの」に着目することによって、そこから、翻訳とは何か、よい翻訳とはどのような翻訳であるか、という問題に迫るものである。

この第一類型に属する研究発表として1.道元が『正法眼蔵』において宋時代の禅の教えを翻訳(翻案)するに際して、言語による翻訳の限界に突き当たるなかで、沈黙するのではなく、徹底してことばを尽くし、反省と教義をめぐる論争を促すことによってこそ、それを成し遂げた経緯を論じるもの(Ch・Steineck)、2.女工哀史の時代の「糸ひき歌」をフランス語に翻訳するに当たって、その律動・調子、ユーモア・洒落などをどう翻訳して、その歌のイメージをどう喚起するかを論じるもの(S・Schaal)、3.「つづれ錦」とも称される「能」のテクストをそれが喚起する感覚的効果までも含めて翻訳するとはどういうことであり、英語での翻訳が成立するためには排除されざるをえないものは何かを論じるもの(山中玲子)、4.『源氏物語』の英訳と現代語訳との比較検討を通じて優れた翻訳とはどのようなものであるかを提示し、優れた翻訳が翻訳対象言語(英語)の限界を超えてその可能性を拡大するものであるかぎり、それは優れた学問的業績に匹敵するものではないかと問題を投げ掛けるもの(S・Nelson)、などがある。これらの研究発表は、翻訳というものが、翻訳不可能なものの間を架橋しようという絶望的とも見える努力のなかで、異文化理解とあらたな文化創造を成し遂げるものであることを示唆するものであった。

第二の類型は、翻訳において何が起こっているのかを問うものである。翻訳とは「解釈(Interpretation)」であると言ってよいが、そのさい、「解釈」は、ある文脈における何ものかを別の文脈のうちに「適用(Adaptation)」すること、もしくは、別の文脈のうちに「受容(Reception)」することを意味する。「解釈」という翻訳のいわゆる変換機能を通じて文化転移や文化受容が行なわれるが、この変換機能の根底にある「フレーム・ワーク」のずれこそが、翻訳不可能性の原因を創りだし、誤訳と誤解を生みだす元凶であると同時に、明治維新以降の日本における西洋文明・文化受容による特異な近代化を特徴づけ、日本文化の自立性を示すものなのである。これを私たちはどう受け止め、どう評価するべきであろうか。

この第二類型の研究発表に属するものとして、1.明治初期に夥しい数の哲学・科学用語(翻訳語)を創造した西周による西洋(とりわけコント)哲学・思想の受容とその意図について論じるもの(安孫子信)、2.Religionという西洋語を「宗教」と翻訳するにあたって認められる、明治時代の西洋文明・文化受容の問題点を論じるもの(H・Rotermund)、3.「同文同種」とも言われる、中国語から日本語への翻訳、日本語から中国語への翻訳にまつわる諸問題について論じるもの(王敏)、4.明治初期にパリ警視庁を模範として設置された東京警視庁を取り上げ、近代化に向けての制度の翻訳・受容に認められる問題点を論じるもの(相良匡俊)、5.明治初期における「ジャーナリズム」概念の受容・導入にまつわる諸問題を論じるもの(Ch・Seguy)、6.翻訳不可能性の根底にあるものを比較社会学の立場から探り当てようとするもの(S・Shimada)、7.翻訳による文化受容において示される独自の解釈のうちに働くヴェクトルを日本文化の偏向と自立性という観点から探り当てようとするもの(星野勉)、8.翻訳不可能性や日本文化・社会の特殊性の主張すること自体のイデオロギー性を文化人類学の立場から論じるもの(H-D・Oelschleger)、などがある。

さらに、それ以外の研究発表として、1.翻訳不可能性の根底に時間空間感覚の差異があることを認めながらも、天皇を中心とする明治以降の国家体制が「創られた伝統」に基づくものであることを論じるもの(J・Kybruz)、2.なぜ天皇制が西洋的価値観から見て理解しがたいものであるかを論じるもの(小口雅史)、3.日本において翻訳が先進文化受容という「一方通行」の手段であったとすれば、文化発信という観点から日本文学などの翻訳の意味や戦略の問題などについて論じるもの(I・Hijiya Kirschenereit)、4.連歌・連句の翻訳の分析から近世文学における主語の不在と近世文化における連に着目し、そこから日本文化の可能性を論じるもの(田中優子)、などがある。

 

このようにして、「翻訳の不可能性について」の議論は、それを一律に論ずることの難しさが指摘され、テクストの翻訳に限ってみても、文化間の距離(文化的関係の濃淡)によって、翻訳の意味も異なってくるのではないか、したがって、翻訳の問題は、一般論としてよりも、具体的なケースに即して考察されるべきではないか、という問題を提起する一方、なぜ、何を、誰のために翻訳するのかという、翻訳一般の問題を提起し、翻訳による文化受容は何も日本文化に固有のことではないとすれば、その意味を問う、というかたちで、問いが問いを生む、というように発展・展開していった。本シンポジウムは、こうした議論のなかで、異文化理解や異文化交流のあり方やその意義を問い、日本文化のもつ制約と可能性をともども浮き彫りにするものであったが、同時にまた、国際日本学の可能性を強く確信させるものでもあった。

【記事執筆:星野 勉(法政大学国際日本学研究所所長)】