第2回東アジア文化研究会 「日本華僑社会における伝統文化の再構築と地元との関係」(2007.11.14)

第2回東アジア文化研究会 「日本華僑社会における伝統文化の再構築と地元との関係」

報告者    曽 士才 氏(法政大学国際文化学部教授)     

  • 日 時   2007年11月14日(水)18時30分〜20時30分 
  • 場 所    58年館 2階 国際日本学研究所セミナー室  
  • 司 会   王 敏 (法政大学国際日本学研究所教授)


 11月14日(水)、18時30分から20時40分まで、58年館2階国際日本学研究所セミナー室において、第2回東アジア文化研究会が開催された。今回は、法政大学国際文化学部教授の曽士才氏を迎え、「日本華僑社会における伝統文化の再構築と地元との関係」と題して行われた。

 1859年の安政の開国以来150年近い歴史をもちつつ、担い手が言語、生活習慣など客観的属性において限りなく日本への同化が進む日本華僑社会を対象とする今回の報告では、曽教授の長崎における現地調査に基づき、「伝統文化の再構築」という観点から日本華僑の動態が紹介された。報告の概要は以下のとおりである。

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■ 長崎ランタンフェスティバル

・地中華街商店街進行組合が1987年から開始した「燈籠祭」が、1994年に長崎市との共同実施として開催されるようになったのが「長崎ランタンフェスティバル」である。

・長崎ランタンフェスティバルの開催当初は、華僑と地元商店街との間には当惑や衝突が生じた。

a)華僑側には「中国の伝統文化を表現することと役所の人と一緒に行うことが両立するか」という不安が存在したが、協議を重ねることで「長崎を思う気持ちは同じだということに気づいた。

b)地元商店街には、「バレンタイン商戦の時期になぜ中国色の強い祭を行うのか」「なぜ中国の祭に商店街から協賛金を出さねばならないのか」という反発があった。

・このような対立点は相互理解の促進によって解消されるとともに、現在では「最終決定権は中華街の人にある」という暗黙の了解の下、ランタンフェスティバルは長崎の冬の名物として開催されている。

・ランタンフェスティバルの起源となった燈籠祭以来、祭では獅子舞が行われているが、長崎にはもともと獅子舞の伝統はなかった。長崎の獅子舞は横浜の華僑から導入されたものだが、これは「文化の流用」のひとつの例と考えることができるだろう。

■ 長崎くんち

・国の重要無形民俗文化財である「長崎くんち」において、2000年にくんちの重要な役目である長采(ながざい)を華僑が務めた。

・長采を務める華僑は、当初「自分は祭が行われる諏訪神社の氏子という意識はあったが、中国人である自分が長采になってよいのか悩んだ」ということである。都市の成熟度が「地域住民を対象とした行事にエスニシティゆえに差別を受けるか否か」によって測られうるとすれば、華僑を長采として迎えた長崎の成熟度は高いといえる。

■ 時中語学院

・華僑の子どもを対象とした時中小学校は、1905年に誕生し1988年に閉鎖された。その校舎に開設されたのが、主として日本人を対象に中国語を教授する時中語学院である。

・現在、時中語学院には幅広い受講者が在籍しており、講師を務める中国人留学生との交流を深めている。

■ 稲佐国際墓地と唐人屋敷

・江戸時代から明末清初の混乱を避けた商人たちが長崎に定住、唐人屋敷が稲佐墓地を永代借地するとともに、管理していた。唐人屋敷は1867年(明治元)に唐人屋敷が解散したが、八?公所のちの福建会館が管理を継承した。

・戦前は外国人が土地を購入できないということもあり、「稲佐墓地は中国人のもの」という意識はあったものの、福建会館が土地の所有登記をすることはなかった。

・戦後、華僑の菩提寺であった悟真寺が墓地の一部を登記したが、華僑は今でも墓地に対して「自分たちのもの」という意識をもっており、所有権はないものの墓所内の清掃などを自主的に行っている。ここから、華僑にとって、墓地と唐人屋敷は有形文化財となっていることが伺える。

【記事執筆:鈴村 裕輔(法政大学国際日本学研究所学術研究員)】