国際日本学研究所公開講演会「アジアのムスリム・ネットワークと日本」 (2007.10.9)

 

国際交流基金「国際交流奨励賞・日本研究賞」受賞記念

法政大学国際日本学研究所公開講演会

「アジアのムスリム・ネットワークと日本」


 

報告者 アイシェ・セルチュク・エセンベル 氏(トルコ・ボスポラス大学日本学主任教授、日本研究学会会長)

報告者 2007年 国際交流基金「国際交流奨励賞・日本研究賞」受賞

  • 日 時  2007年10月9日(火)16時00分〜17時50分
  • 場 所  九段校舎3階 遠隔講義室2
  • 司 会   ヨーゼフ・クライナー (法政大学特任教授)

 

去る2007年10月9日(火)、16時から17時50分まで、九段校舎3階遠隔講義室2において、国際交流基金「国際交流奨励賞・日本研究賞」受賞記念・法政大学国際日本学公開講演会として、アイシェ・セルチュク・エセンベル氏による講演「アジアのムスリム・ネットワークと日本」が開催された。

今回の講演では、「ネットワーク」「地域」「プロト・ナショナリズム」「トランスナショナル・ナショナリズム」といった概念を手がかりとして、アジアにおけるムスリム共同体が歴史的に果たした役割と性格が明らかにされるとともに、明治末期から太平洋戦争に至るまでの日本とアジアのムスリム共同体のかかわりについても考察がなされた。

講演の概要は以下の通りである。

アジアにおけるムスリム共同体が歴史的に果たした役割と性格

・ アジアでは11世紀ごろからイスラム教が普及し始め、メッカへの巡礼の道が「南のシルクロード」として発達するとともに、中世以来、中央アジアのウイグル民族の一部が巡礼の道を通ってトルコ南部のタルソスに移り住むなど、巡礼の道を中心とする人的、物的な交流は活発であった。

・ タルソスに移住したウイグル人は、後に新疆におけるウイグル人の民族独立運動にも加わるなど、巡礼の道を媒介とする国家を超えるネットワークを民族の自立に活用した。

・ 歴史的展開の中で、インド人はインド人の共同体、あるいはウイグル人はウイグル人の共同体、という個別的な枠組みの中に止まっていた。しかし、アジアのムスリム・ネットワークはこのような民族的、あるいは国家的な枠組みを超える超国家的な連帯として活躍した。

・ 20世紀になると、ウイグルの独立運動を支援するためにタルソスのウイグル人共同体から義勇軍が送り出されるが、トルコ政府は対して一切援助を行なわなかった。そのため、義勇軍はムスリム・ネットワークを活用して運動を実現した。また、汎イスラム主義の主要な論客であったアブデュルレシト・イブラヒムの活動に対してもトルコ政府からの支援はなかったが、エジプトの反英運動家、インドのムスリム・ネットワークなどが物心両面で援助を行った。このような事例は、国家という地域的制約を超えた民族主義という意味でtransnational-nationalism(超国家的民族主義)ということができる。

日本とアジアにおけるムスリム共同体のかかわり

・ 明治末期から太平洋戦争終結に至るまで、日本政府が公式的にムスリム共同体との関係をもつことはなかった。しかし、アジア主義者が「アジアの解放」という理念の下、イスラム教徒の民族運動家の亡命を受け入れるなど積極的な支援を行うとともに、防共という観点から中央アジア地域の安定を重視した陸軍なども対ムスリム政策に関心をもっていた。

・ 具体的には、日本における最初のイスラム教徒であった黒龍会の山岡光太郎が1910年に日本人として初めてメッカへの巡礼を行ったほか、大川周明とも親交のあったイスラム教徒田中逸平もメッカ巡礼を行い、アジアのムスリム・ネットワークと接触し、交流を深めた。また、対露脅威論を主導した陸軍は、対中央アジアないし対回教政策に冷淡であった政府と異なり、アジアのムスリム・ネットワークの活用に興味をもっており、1937年にはアジアと世界のムスリム・ネットワークについての具体的な分析も行った。

・ 太平洋戦争中には、東京回教印刷所から「日本がイスラムを守る」という趣旨の宣伝雑誌が出版されていた。この印刷所は松岡洋右の対露政策の一環で白系ロシア人とともに日本に亡命したタタール系亡命者が営んでいるものであった。

・ 歴史的には、黒龍会のアジア主義が日本の対アジア拡張主義を促進するという側面をもっていた。しかし、当時の黒龍会は、イスラム世界を「問題をもつ近代世界」と捉えており、日本との共同で「問題」を解消する可能性を模索していた。これは、19世紀以降のイスラム研究が「イスラムは近代以前の、古代的、中世的社会」というオリエンタリズム的観点でなされたのとは対照的であった。

【記事執筆:鈴村 裕輔(法政大学国際日本学研究所学術研究員)】

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