外国人客員研究員研究会(2007.9.7)

外国人客員研究員研究会

報告者と報告タイトル

楊 偉 氏(法政大学国際日本学研究所外国人客員研究員・四川外語学院日本学研究所教授)

「中国における「惜別」の受容から中日文化を見る」

霍 建崗 氏 (法政大学国際日本学研究所外国人客員研究員・中国現代国際研究院日本研究所助理研究員)

「共同体の視点から日中の政治を見る」

 


 

  • 日 時   2007年9月7日(金)15時〜18時
  • 場 所    58年館 2階 国際日本学研究所セミナー室

法政大学では、2006年10月からの1年間、四川外語学院日本学研究所教授の楊偉氏と中国現代国際研究院日本研究所助理研究員の霍建崗氏を客員研究員としてお招きした。帰国前の9月上旬、研究成果を報告する会が開催された。以下、両氏の報告の概要である。

○楊偉氏「中国における「惜別」の受容から中日文化を見る」
日本の文学の翻訳をされ、アニメ研究にも造詣が深い楊氏は、太宰治の小説「惜別」について報告された。

中国では、太宰の作品は1980年代から翻訳と研究論文の執筆が始まり、「惜別」は2006年に翻訳され、ここ数年間で10篇以上の研究論文が発表されている。「惜別」は、「大東亜会議」の五大宣言を小説化するため昭和18年に内閣情報局と文学報国会の依嘱を受けて、太宰が執筆し、昭和20年9月に刊行された国策小説で、魯迅の親友であった老医師が仙台医専に留学していた頃の魯迅について回想的に語るという設定で創作されている。

「惜別」は、封建的な秩序や儒教と戦う闘士、聖人として神聖化されている魯迅を主人公にしていることから、「大作家による大作家を描く卓抜な作品」「世界文学においても、魯迅を主人公とする唯一の長編小説」として位置づけられ、太宰の特性(個人性、頽廃無頼、自虐的)と魯迅の性格(社会性、国民性、闘争的、攻撃的)が、永遠なる青春文学と民族魂としての思想文学とのギャップとして注目を集めている。

中国では、審美的な観点よりも、中国人としての国民意識や民族意識をもって文学を鑑賞する傾向が強く、魯迅が医学から文学へ転じたことは、「国民意識の目覚め」の物語として受容されている。また、太宰の戦争観・中国観と中国の民族魂としての魯迅像が「惜別」でどのように表現されているかについて関心がもたれ、太宰が戦争への抵抗を間接に示し、中国の保全を主張し、魯迅を好意的に描いたことが評価されている。

楊氏は、「惜別」について、「大東亜の親和という名目的な主題にひきずられて、「惜別」と言う作品が失敗作という烙印を押されるようになったのではなく、そうして「私」を超えた“外部”とのかかわりという主題を「私」的な感懐や感情の論理に従属させてしまったことが「惜別」における失敗の大本であったと言わざるを得ない」と指摘しながら、太宰が「大東亜共栄」のイデオロギーに疑いを示し、それを脱構築し、イデオロギーよりも感性を重視して、感性の力を最大限に発揮したことを評価された。

○霍建崗氏「共同体の視点から日中の政治を見る」
霍氏は、共同体が「土地が富の基盤としての段階で、土地に対する占取を軸に形成される人間関係の総称」であり、「統治者の共同体と被支配者の共同体に分かれている」ということを基本に日本と中国の政治について報告をされた。

市民社会の成立は共同体の解体を意味するが、共同体の解体・崩壊が直ちに市民社会の成立には至らず、その成立は、国内事情と国際事情に左右される。中国では、隋時代、科挙制度が成立し、被支配者層から官僚が出るようになったことから、統治者の共同体は解体の一途を辿る。霍氏は、日本の事情には精通していないと断りながら「日本は封建状態が続き、統治者と被支配者の間に溝があり、庶民が出世することは技術の方面に限られ、政治の面で指導者になることは至難の業であった」と指摘された。

次に、両国の宗教と共同体の特徴について言及された。中国は元来無神話の国で、知識層が作った倫理規範(礼)が宗教と同じ役割を果たし広く浸透し、被支配者共同体の呪術的な習慣は全滅せず、道教に移行した。日本の記紀神話は支配者共同体の神話であった。仏教が伝来し、土着の神話や呪術の伝習と習合し、支配者と被支配者の共同体共通のものとなっていった。両国の共同体の特徴として、中国は血縁的で、日本は、地縁と血縁の要素が併存している。

最後に共同体と政治文化の問題に言及された。文革以降の中国は、共同体は消滅したものの、市民社会が成立する気配はない。日本は共同体の全滅から逃れてはいるが、市民社会は十分には成立していない。先の参議院選挙では、格差問題が争点になったが、日本人が格差に敏感なのは、共同体意識が残っていることによる。中国では、王安石の時代(宋代)から、改革は難しいと言われている。改革が既得利益層の利益を奪い戻すため、官僚の利益に反するからである。2007年に日本でKY(空気を読む)という言葉が流行語になったが、これは日本特異のものである。市民社会が未熟な点を、世間が代替的な役割を果たしてきたが、その世間も変化しつつある。両国とも、市民社会を成立させることが課題であるが、先はまだ見えていない状態にある。

○最後に 意欲的な客員研究員をお迎えし、学術交流ができたことは、法政大学にとって大きな資産となった。お二人の今後のご活躍を祈るとともに、末永く交流が続くことを期待する。

【記事執筆:杉長 敬治(法政大学特任教授)】

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