【研究所訪問】レオン・バンデルメールシュ先生の訪問(2017.9.16)2017/11/01

レオン・バンデルメールシュ先生の研究所訪問

日 時: 2017年9月16日(土)

場 所: 法政大学国際日本学研究所(HIJAS)

 

2017年9月16日、フランスのアジア研究者レオン・バンデルメールシュ氏が本研究所を訪問した。氏は1928年に生まれの90歳、主に漢字とアジア研究に身を投じてこられた。

1951年パリ大学で法学博士号をとり、1975年に文学博士号を得たかたわら、1951年からベトナム、香港、日本、韓国、中国で教鞭をとり、アジア諸国での実践的研究を40数年過ごした。その間、日本とのつながりは1959~61年の同志社大学留学、1964~65年の京都大学客員教授、1981~84年の日仏会館館長。三回の日本滞在は学問上において実り多い6年になったといわれる。アジア諸国での体験的研究を積んだ後、フランスで教鞭をとり、フランスアカデミックの頂点・極東学院院長を務めた。

(写真右より:レオン・バンデルメールシュ氏、王敏教授)

代表作の『アジア文化圏の時代』が1987年に福鎌忠恕氏の翻訳により、大修館から1987年出版された。滞日中の執筆という。同書では、歴史的文化的漢字文化を共有した地域を新たに「漢字文化圏」と設定して、その枠組範囲の成長率を素材に考察して推論を引き出した。それは「1960~78年の間におけるアジア諸国の年間成長率の順位より分類すると、筆頭グループは漢字文化諸国集団によって占められている」となった(p5-6)。漢字文化圏の経済発展は倍に近い成長を遂げた事実という成果に、日本の貢献が大きいことを明らかにした。

氏の今回の来訪は、こうした漢字文化圏という地域を国際日本学研究の対象に設定した本研究所の研究成果に注目したからである。近現代の漢字文化圏の動きに敏感な氏は日中韓三カ国政府会議の主導でまとめられた共通使用808漢字の一覧表とそれに関連する資料につぶさに目を通された。また、ここ十年、王敏研究室が取り組んでいる日本各地の禹王信仰に関する研究資料にも関心を示され、温かい助言と励ましをいただいた。

氏は日本研究への思いを語られた。日本の数多い文学作品のなかでも、夏目漱石と小泉八雲が愛読書という。尊敬する学問の日本の先賢者として、白川静、吉川幸次郎などの名を挙げられた。日本という学問風土を知るにつけ日本研究に手を広げる余裕がなかったのが残念である、と。

日本の漢字文化への貢献に対して、氏は「日本が担われた漢字文化圏の筆頭という役割」に評価しつつ、誇りと責任を自覚してほしいとも語られた。

「アジア人が西洋を理解しようと必死に努力した。それなりの努力を西洋人もしなければ」と。60数年の研究成果に基づく自らも西洋人への氏のメッセージである。

参考
日本留学へすすめられたのはスイスとフランスにおける東洋学の重鎮、パリ東方言語文化学院の指導教官・ポール・ドミエヴィル教授(1894―1979年)。敦煌文献と仏教の研究、漢詩の翻訳、30年にわたって『T’oung Pao』の編集者をつとめたことで知られる。自ら名付けた漢字名は「戴密微」といい、漢字圏では学問のモデルとされている。
日本での初体験を終えた後、香港大学前学長、「東洋のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称される饒宗頤氏(1917年8月9日)の自宅に下宿し、特訓レッセンを受けた。日本人の恩師が同志社大学の法制史専門家の内田智雄(1905―89)教授。以上の三氏を「終生の恩師」と、氏がいつも語っている。
日本を発った後、レオン・バンデルメールシュ氏が香港で100歳の恩師饒宗頤氏を囲む会を主催した(2017年9月24日)。

写真は饒宗頤学術館の提供によるが、真ん中は饒宗頤氏。その左にはフランス極東学院教授の傅飛蘭氏、饒宗頤学術館名誉館長の饒清芬氏、レオン・バンデルメールシュ氏。右からは法政大学国際日本学研究所専任所員・教授の王敏、饒宗頤氏の孫娘、饒宗頤学術館副館長の鄧偉雄氏。

【記事執筆:王 敏(法政大学国際日本学研究所専任所員・教授)】

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