【開催報告】アプローチ(1)第2回研究会『只野真葛のキリシタン考』(2014.9.26)報告記事を掲載しました2014/10/01

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
アプローチ(1) 「<日本意識>の変遷−古代から近世へ」
第2回研究会

只野真葛のキリシタン考

期 間  : 2014年9月26日(金) 18時30分〜20時30分

 報 告 者  : ベティーナ・グラムリヒ=オカ(上智大学国際教養学部 准教授)

会  場  : 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階B会議室

 司 会 者  : 小林ふみ子(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)

 

今年度、これまでの<日本意識>の変遷についての研究に不足していた視点を補うべく、ジェンダーによる<日本意識>の差異の有無を考えるため、女性に焦点を当てた研究会を連続して企画している。そこで、9月26日(金)に行った第2回の研究会では、昨年、英文のご著書を翻訳して『只野真葛論—男のように考える女』(岩田書院、上野未央訳)を刊行されたグラムリヒ=オカ・ベッティーナ氏を迎えて、只野真葛がどのような<日本意識>をもっていたのかについてお話しいただいた。
ご著書では真葛の主著『独考』を中心として、真葛が、国学者の思想に近くはあるものの、ロシア事情に通じて『赤蝦夷風説考』を著した父工藤平助の影響下に、独自の思想を形成したことを論じられたオカ氏は、今回は「キリシタン考」という小文を取りあげて、『独考』以後の思想的展開を論じられた。
真葛は、この小論において日本を「正直国」と呼び、その人心が歪んで道徳的に頽廃した原因を「邪法」、つまりキリスト教の伝来に帰する。容易に感化されがちな庶民に対してキリスト教の影響力は重大な脅威となるものとして警告する。そのキリスト教理解は教義や信仰の内実に及ぶようなものではなかったが、他方、『独考』をふり返れば、キリスト教的権威を背景とする指導者による統治が成功しているロシアに、カリスマ的指導者が宗教を背景として人民を統制する理想化された国家モデルをみていた、という。
以上のような真葛の思想は、本多利明、会沢正志斎、高橋景保、藤田幽谷ら、同時代の学者たちの著述と軌を一にするところがあるという。真葛は、幼時には歌を習った荷田蒼生子、歌学者であった祖母桑原やよ子らの影響が考えられるが、仙台藩士に嫁した後はまさに『独考』の題の通りに、独自に思想を形成し、これらの学者達のネットワークとの直接のつながりは確認できない。それでも、ロシアの南下、交易関係のあるオランダ以外の異国船が次々とやってくるようになった時代の状況のなかで、真葛と彼ら男性の学者達の思想には、ある種の愚民観やキリスト教に外圧の象徴を見てその排除を説く点で大きな共通性が見出せるという。
ただし、漢学を正式に学んだことのない真葛の著述はその意味で独創的だが素朴なところがあり、論としては男性の学者たちに学問的には及ばない。しかし、漢学の影響自体を日本的精神を惑わす害悪と捉える、国学者のような発想をもつ真葛にとっては、そのことはむしろ漢学に毒されない自身の自由さの利点として捉えられていた、とオカ氏はいう。
オカ氏のご報告の要点をごく簡単にまとめると以上のようになる。祖母や父という家族関係による影響は考えられるにせよ、知識人の直接的な交遊のネットワークから隔絶されていた女性が、「国」のありよう、あるべき姿に対してここまで思索をめぐらすことができたということは興味深い。また、真葛を含む当時の学者たちが、誑かされやすい一般の人民には宗教的権威をもつ指導者の統治がふさわしいことを見抜いていたということは、近代日本の歩みを知る現代の目からすると驚くべき慧眼といえよう。最後に記した、正式に漢学を修める機会を与えられなかった女性ならではの経歴に、純粋な日本的思考の可能性をみるという逆転の発想は、今後、女性性と<日本意識>の関係を探る上で重要な視点を与えてくれるものであった。

【記事執筆:小林ふみ子(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)】


ベティーナ・グラムリヒ=オカ氏(報告者)


会場の様子

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