【開催報告】2014年度第10回東アジア文化研究会(2015.2.18)報告記事を掲載しました2015/02/22

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「<日本意識>の現在−東アジアから」
2014年度 第10回東アジア文化研究会
最近の中国・日本関係について考える


日 時: 2015年2月18日(水)18時30分〜20時30分
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階 国際日本学研究所セミナー室
報 告: 谷野 作太郎(日中友好会館顧問、元駐中国大使)
司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

 

一、二十世紀の国際社会(西側)の大きな課題は、あのソ連邦とどう向き合うか、ということだった。然らば二十一世紀の我々にとっての国際的な課題は何か。それは、諸事(政治、外交、社会)において異質な、そして軍事的に透明さを欠いたまま膨張を続ける中国(今や米国に次ぐ第二の軍事大国)とどう向き合ってゆくか、ということである。国際社会における相互依存関係が深まる中、中国の世界とのかかわりの度合いは、かつてのソ連とは比べものにならない。
「諸事において異質な中国」を象徴する事例がある。五年前、当時の中国の政治のトップの一人、呉邦国全人代表委員長は「中国は五つのことをやらない」と述べた。それは、1.多党制による政権交替 2.指導思想の多元化 3.三権分立と両院制 4.連邦制 5.私有制、この五つのことを中国は採用しない、ということである。そしてこの考えを温家宝総理(当時)も強く支持した。

このうち、とくに「三権分立」は採用しないということについて、中国のために本当にそれでよいのであろうか、と考える。その時々の政権が国の運営、清廉さなどの面で暴走する、ハメをはずす、これをチェックする有効な仕組みこそが三権分立である。また、司法の独立が認められない、司法も(すべて、共産党が差配する)ということになると、例えば日中間の訴訟案件においても、その時々の日中関係の情況によって、司法の裁きも左右されかねないということになる。

もっとも、このようなやり方(“北京コンセンサス”)について、とくに未だ発展途上にある国については、こうしたやり方も悪くないではないかという見解もある。“ワシントン・コンセンサス”の否定、昨今の国際社会の情況(特定の宗敎神をおとしめる、或は一国の政治の最高指導者を残酷なやり方で殺すというストーリー、それを映画の主題にするといったことなど、私に言わせれば、これらは言論、表現の自由の枠を越えた言論による暴力である。もっともあの政権についての憤りの気持ちは私も共有するが)を見るにつけ、更には米国などにおける富の極端な偏在を知るにつけ、このような主張も一定の説得力を持つ。

二、三年前の秋、そして二年前の春、中国において、新しい政権、すなわち、習近平党総書記と李克強国務院総理のチームがスタートした。拡大する貧富の較差、深刻な環境問題、不正、腐敗の広がり、軍の肥大化、少数民族問題、そして社会保障制度が未だ未だ未熟な中にあっての少子高齢化社会の到来など、数々の重い“お荷物”を背負ってのスタートである。他方、長年の懸案である“政治改革”(これをつき動かす“民主化”)は殆んど進んでいない。
そのような中、習総書記は、「中華民族の偉大な復興の実現、富国強軍は“中国の夢”」と語り、自からへの権力の集中を図り、腐敗撲滅(“トラもハエも叩く”)に懸命である。しかし、その先にどのような中国を目ざそうとしているのかが必ずしも見えてこない。そして、異なる意見を力をもって封じ込めようとする所作のみが目立つ昨今である。健全なナショナリズムの高揚は結構である。しかし、いささかひとりよがりで軍事力もふくめ、これ程巨大になった中国のリーダーの語り口としては、肩に力が入り過ぎとの感じがしないわけでもない。

三、中国及び中国新指導部への期待と要望
(1)国際社会の一員としての自覚と大国にふさわしい所作(国際協調の精神、国柄の透明性の向上、品格に裏づけられた自信)
(2)そろそろ歴史の被害者意識(“中国は馬鹿にされてたまるか”)、国際社会に対する過度の猜疑心、いびつなナショナリズムから卒業せよ

四、日中、中日関係
先の北京における安部総理と習近平総書記の出会い(二十五分間の会談)で、両国関係が長いトンネルを抜け出し、日中、中日関係に青空がひろがった、ということでは決してない。ただ、中国のトップのリーダーが日本の総理と握手をしたということで、中国の側においてはその下僚たち(閣僚もふくめ)が残壕から出て来て、中日関係でボチボチ仕事を始めつつある。願わくば、折角ゆっくりと動き出して歯車を止めないで欲しいと思う。

−中国側への要望:
1.その時々の両国の政治・外交関係を他の分野の関係(経済、青少年交流、地方都市交流、文化・芸術交流・・・)に及ぼさないで欲しい。
2.国常化以来の中日関係に対する検討と真摯な内省(中国としても間違っていたところはないか)なくして「両国関係の悪化の原因の責任は挙げて日本側にあり」と叫ぶだけでは、日中関係の未来はない。
−日本側への要望:
1.政治の要路にある方々は「オウン・ゴール」と避けること(今年は五月のモスクワ、九月の北京と勝利記念国際行事がいろいろと予定されており、日本にとってなかなかつらい年である。)2.若者たちのアジアの近現代史についての基本的知識の涵養(この面での日本の若者たちの尖化は目を覆うばかりである。)3.国、民族の徳の錬磨、尊敬され頼られる日本に

四・日・中両国は四十二年前の関係正常化の原点に立ち返ろう
四十二年前、田中総理の周恩来総理は何を語り合い、何を終束したか。

それは、共同声明にも記されているように
1.両国の平和友好協力関係は、日、中の利益、アジアの利益、世界の利益、2.反覇権、3.「歴史」と鑑として両国関係の未来を拓く、ということであった。
しかし、そのためには、日、中それぞれ側の政治の領袖たちの強い意志と勇気、そして移ろい易い世論に流されない、おもねらない強い政治的リーダーシップが求められる。

【記事執筆:谷野 作太郎(日中友好会館顧問、元駐中国大使)】

右より:谷野作太郎氏(報告者)、王敏氏(司会者)

 

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