【開催報告】アプローチ②2014年度研究会『両みんぞく学のパラダイムの検討』(2014.10.3-4)報告記事を掲載しました2014/11/05

国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来
研究アプローチ(2) 「近代の<日本意識>成立−日本民俗学・民族学の問題」
2014年度 研究会

『両みんぞく学のパラダイムの検討』


 

日 時  2014年10月3日(金)−10月4日(土)

会 場  法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階 国際日本学研究所セミナー室

司 会  ヨーゼフ・クライナー
(法政大学国際日本学研究所客員所員、ボン大学名誉教授)

10月3日(金)
☆清水 昭俊(国立民族学博物館 名誉教授)
発表タイトル:「坪井正五郎の人類学 人類学の坪井正五郎」
☆川村 伸秀(編集者)
発表タイトル:「逸脱する人類学者−坪井正五郎と山口昌男」

10月4日(土)
☆福田 アジオ(国立歴史民俗博物館 名誉教授)
発表タイトル:「坪井洋文と宮田登−アカデミック民俗学確立の立役者」
☆ヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所客員所員、ボン大学名誉教授)
「近代の<日本意識>の成立−日本民俗学・民族学の問題」総括

 

2014年10月3日(金)、4日(土)、2014年度研究会「両みんぞく学のパラダイムの検討」が行われた。これまで、アプローチ(2)「近代の<日本意識>の成立——日本民俗学・民族学の問題」は年度ごとに次のような課題を設定して研究活動を行ってきた。すなわち、2010、2011年度は昭和10年代から昭和20、30年代を対象に、日本が植民地を持つ帝国から、いくつかの少数民族はいるものの、ほぼ単一民族の国家に変わった時期にエスノロジーとフォークロアがどのようにパラダイムシフトを行ったかを中心に研究が進められた。2012年度は、「日本の民族学の父」と呼び得る岡正雄の業績を討論し、ウィーン大学に提出した博士論文Kulturschichten in Alt-Japanを出版した。さらに2013年度は、20世紀の日本の民族学において最も重要な役割を果たした5人の研究者、すなわち鳥居龍蔵、渋澤敬三、金関丈夫、梅棹忠夫、そして佐々木高明を取り上げ、その業績を検討した。今回は2010年度から2013年度までの成果を総括として両みんぞく学のパラダイムを検討するため、民俗学と民族学の分野で画期をなした坪井正五郎、坪井洋文、宮田登の3名を対象に考察を行った。

10月3日は「坪井正五郎の業績」を主題に、清水昭俊氏(国立民族学博物館名誉教授)と川村伸秀氏(編集者)が、10月4日は「坪井洋文・宮田登の業績」の主題の下に福田アジオ氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)が報告を行い、ヨーゼフ・クライナー氏(国際日本学研究所客員所員)が講演「「近代の<日本意識>の成立——日本民俗学・民族学の問題」について」を行った。
まず、清水氏は「坪井正五郎の人類学 人類学の坪井正五郎」と題し、人類学を確立した坪井正五郎の学問上の構想の特徴と実際を検討した。具体的には、好奇心に満ちた趣味人であった坪井正五郎が東京帝国大学在学中にモースやシーボルトなどの在留外国人の取り組みを通して人類学に接するとともに、英仏への3年間の留学を経て東京帝大人類学講座の教授となったものの、当時の人類学講座が人材育成の機能を欠いていたため、講座を運営する実働組織である人類学教室と外郭組織の東京人類学会を通じて人材の確保と育成を行ったことが指摘された。また、坪井が留学時代に学んだ欧米の人類学の知識を総合して、専門分野へと分化・分離しない、人類の全体の理解を目指す包括的な人類学を構想したものの、各地の「人民」を民族文化と関連付けて「民族」として把握する視点を持っていなかったこと、さらに「人類学−人種学及び考古学−土俗学」という階層関係を装丁しながらも土俗学を人種学に関連付ける理論的視点を欠いていたこと、あるいは包括的人類学を構想する過程で青年期の坪井の独創的な発想が削がれたことが説明された。そして、人類学教室で行われた人材の育成は鳥居龍蔵、八木奘三郎、松村瞭などを輩出したものの、坪井の包括的な人類学が個別の分野へと専門分化した過程であったことが示された。

次に、編集者として文化人類学者の山口昌男の著作の編集に携わるとともに2013年には『坪井正五郎—日本で最初の人類学者』を上梓した川村氏が「逸脱する人類学者——坪井正五郎と山口昌男」と題して発表を行い、坪井正五郎と山口昌男の足跡を「西洋とのつき合い方」、「絵を描く——笑いと遊び」、「人類学と文学と」、「交流の場をつくる・利用する」、「人類学の広告塔」の5つの観点から対比させた。その結果、時代も環境も異なる二人が、民族学と文化人類学という学問の発展のために行った取り組み、社会との関わり方、あるいは学問の分野を超えた人的な交流の幅の広さという点で類似する要素を数多く持っていることが明らかになった。

福田氏は「坪井洋文と宮田登——アカデミック民族学確立の立役者」と題する報告を行った。まず、柳田國男が宮崎県椎葉村で実地調査を行った1908年に始まる日本の民俗学の歴史を概観した後、坪井洋文と宮田登の学問的な特徴が検討された。その結果、國學院大学で井之口章次が指導する民族学研究会に入って柳田國男流の比較研究の手法を学んだ坪井洋文は卒業論文の主査であった折口信夫から直感から仮説を得る方法を学び、聴講生となった東京都立大学では岡正雄流の種族的文化複合論を修得した。そして、こうした学問的な前提に基づき、日本の文化の地域差、地域性に着目して「餅なし正月」に畑作文化の痕跡を認め、柳田國男の稲作文化論を批判するという日本文化多元論研究を行った。さらに、折口流の直感によって得られた着想を照葉樹林文化論にまとめ、日本文化の起源論へと議論を進めたことが紹介された。一方、宮田登については、和歌森太郎の影響を受けた歴史主義民俗学、西山松之助の影響による近世生活文化史への取り組み、さらに文化人類学や宗教学との交流や人間関係の幅の広さを前提とし、文字資料による近世史研究、ミロク信仰の研究、地域民俗学や比較民俗学、都市民俗学、あるいは現代民俗学といった民俗学の新しい分野の開拓など、民俗学に新境地をもたらしたことが示された。そして、坪井と宮田に野口武徳を補助線として加え、民俗学が大学の正規の課程となり、さらには「落日」を経験した民俗学と民俗学者たちがどのように向き合ったかが説明された。

最後に、クライナー氏が2010年度以来の取り組みの成果を紹介するとともに、今後の研究のあり方が示された。

今回の研究会により、過去4年間の研究が俯瞰され、さらには真摯な討論を通して、参加者は研究の成果と今後の展望についての理解を深めることとなった。

【記事監修:ヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所客員所員)、記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】

清水 昭俊(国立民族学博物館 名誉教授)

川村 伸秀(編集者)

中央:福田アジオ(国立歴史民俗博物館 名誉教授)
中央:会場の様子

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