第8回日中文化研究会「日本人の伝統倫理観と武士道」

第8回日中文化研究会「日本人の伝統倫理観と武士道」

報告者   谷中 信一 氏(日本女子大学教授)
日時    2006年12月20日(水)18時30分〜21時
場所    ボアソナード・タワー25階 C会議室
司 会   王 敏(法政大学国際日本学研究所教授

2006年12月20日、日本女子大学の谷中信一教授を講師に、第8回目の日中文化研究会が開催された。谷中氏のご専門は、中国哲学、中国思想史で、報告のテーマは「日本人の伝統倫理観と武士道」。武士道を、日本人の心理に底流している倫理思想から考察するもので、広い視野からの報告と問題提起に、予定時間を超えて熱心な意見交換が行われた。報告趣旨は以下の通りである。

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武士道を理解するためのキーワード

報告の冒頭で、谷中氏は、武士道は日本の伝統的倫理を抜きには語れないという立場から、日本の伝統倫理を理解するためのキーワード(恥、恩、世間)について、日本語の用例等を紹介しながら詳しく説明をされた。日本の伝統倫理では、恥と恩は、倫理判断の主要な基準で、日本人は「恥をわきまえているかどうか」という観点から自他の行動を判断し、「人に恩義を感じるかどうか」という観点から自他の行動を倫理的に判断してきた。

世間は、日本人の倫理判断の背景にある社会的基盤である。日本では、自他の関係をすべて世間内関係として捉えているため、倫理規範に従って行動しようとする場合、倫理規範は世間の中でのみ有効なものになる。日本人は、世間に背いてはいけないと教えられていることから、日本人にとって悪事をはたらくとは、神や仏に背くことではなく、世間に背くことである。その報いは天罰や仏罰ではなく、世間からの追放であり、世間からの追放は、自分の立場を失うことであり、仕事も人間関係もすべて失うので、自制心がはたらき、強力な規範力の源泉となってきたと説明された。

「武士道」の定義と特徴

谷中氏は、武士道を「広く日本人の伝統倫理観から演繹されて武士というごく少数の支配階級に属する者たちによって完成していった道徳」と定義され、武士が一般的に心得えとして意識していた事柄として、「死を覚悟して生きよ」「喜怒哀楽を表に出してはならない」「謙虚たれ」「自制心を持て」「寡黙たれ」「損得勘定はならぬ」という点を挙げられた。また、義理と人情の狭間での葛藤の問題、武士道と儒教思想の関係、恥と武士道等についても言及された。

更に、武士道の特徴として、武士道が恥の文化に支えられた規範意識であり、利ではなく、義理を果たすことで得られる名誉を最重視した点や武士という基本的に戦闘する集団、軍隊組織に属する者の倫理であり、滅私奉公や絶対服従が要求された点を指摘された。

今日の日本における組織と道徳倫理の問題

谷中氏は、報告の後半部分では、現代の企業社会と武士道の共通点に言及された。戦後、日本の企業社会(日本的資本主義)では、終身雇用、年功序列が採用され、サラリーマンは、武士政権の下での武士のように、一族郎党意識に支えられた一種の主従関係のような関係の中で、滅私奉公的に働いてきた。日本的資本主義が、欲望の開放、市場主義、弱肉強食を基本とするアメリカ的資本主義に移行せざるを得ない情勢の中で、企業社会は変貌を余儀なくされており、日本社会は、伝統倫理に変わるものを構築していく必要に迫られている。谷中氏は、このような状況下、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」という消極的な倫理観では対応が困難なこと、また、伝統的な世間意識の喪失の中で、世間に代わる社会がまだ実質的に定着していない日本で、如何に倫理を復活させ、構築するかという、極めて重要な課題があることを明らかにして、報告を終わられた。

今後の展開に向けて

谷中氏の報告を拝聴し、武士が消滅してから相当の歳月が経過した、戦後民主主義、日本的資本主義の下で、武士道的なロジックがどのようにして定着し、今後変容していくのか、更に究明されることの重要性を感じた。また、この報告をきっかけにして、武士道ブームの中で脚光を浴びている、新渡戸稲造の「武士道」(1899年11月に米国にて英語で出版された)を読む機会を得たが、海外で出版されたこと、日本の文化や日本人の美意識、倫理感を海外に紹介することを主眼として執筆された点で、岡倉天心の一連の著作と極めて共通しており、日本文化を世界に向けて語る、発信するということがどのようなことであるかを考える上からも大変意義深い経験をすることができた。武士道について関心が広まっている中での谷中教授の報告は、今後の日本社会の在り方を考える点からも極めて示唆に富む内容で、多くの刺激を与えていただいた。世間については、西洋中世史の故阿部謹也氏が近年精力的に研究を行ってこられたが、日本社会を理解するためのキーワードとして、世間と社会の比較研究を通じて世間の解明が更に進展することが期待される。また、名と恥を人間倫理の根底に置く点では共通のある中国の倫理観との比較研究の進展も期待されるのではないかと感じた次第である。

【記事執筆:杉長 敬治(法政大学特任教授)】